日本アニメ誕生

日本で初めてテレビアニメが生まれたのは1963年、鉄腕アトムの第1作が放送開始してからの事である。それからもう57年の月日が流れたが、今もなお数多くのアニメが生まれ、映画になることもあり、鬼滅の刃をはじめ大ヒット作品も数多くある。本書はその日本におけるテレビアニメ誕生までの歴史と、誕生してからの歴史についてを取り上げている。実は本書の著者はこの鉄腕アトムの第1作のシナリオライターとして関わっている。

第一章「手塚治虫との出会い。押しかけ原作を強要」

著者がSF作品のコンテストに入賞してからの時に初めて手塚治虫と出会ったという。その出会いからアニメ「鉄腕アトム」が作り始めるまでの事を綴っている。

第二章「エイトマン誕生! 「細胞具」って、なに?」

「エイトマン」は正式には「8マン」である。1963年~1968年に週刊少年マガジンにて連載していたSFマンガであるのだが、同時期にアニメ化されたが、その時の表記が本章のタイトルにある「エイトマン」だった。実はこのエイトマンの著者である平井和正は著者と同じ時期にSFコンテストに入賞し、なおかつ同い年だったことから意気投合したという。しかし仕事になると別でことあるごとに喧嘩のような対立劇があった。

第三章「シナリオがない!」

エイトマンと鉄腕アトムとでシナリオづくりを行っていた著者。シナリオづくりの「地獄」と呼ばれる日々が続いた。実際にシナリオを作ったとしてもそれが通るかどうかも別であり、手塚治虫から怒鳴られて返されることもあれば、黙ったまま見続けることもあったという。

第四章「社長が消えた!」

「社長」というのは言うまでも無く手塚治虫のことである。この事件はシナリオを作ったときと言うよりも、今ではごく当たり前に行われている「二次商標」についての商談をすっぽかしたという事件であったという。なぜそういった事件があったのか、そこには手塚治虫自身の「性格」にあった。

第五章「アトム輸出。お茶の水博士は、ドイツ人?」

実を言うと「鉄腕アトム」自体は世界的にも人気を呼んだ。そこにはアメリカなど海外への輸出の際のプロモーションも功を奏したとされているという。もちろん海外でアニメを放映するとなると、たいがいは字幕か吹き替えだが、鉄腕アトムの場合は吹き替えだった。特にお茶の水博士が英語版になった時はドイツなまりだったことも明かしている。

第六章「「イルカ文明の巻」視聴率トップ」

本章のタイトルはこの鉄腕アトム第1作の84話であり、初回放送は1964年の8月29日に放送された回である。実はこの話は著者がシナリオを描いたものであり、なぜできたのかについて取り上げている。

第七章「手塚治虫とけんか別れ」

「困るじゃないですか?」p.98より

元々手塚治虫が主宰する虫プロダクションで仕事をしていたとき、突然呼び出され、手塚治虫自身から激怒しながら言われた言葉である。著者もなぜそれを言われたのか自体わからなかった。わからないまま罵られ、ついに著者自身も激怒し、虫プロダクションを退職した。タイトル通りの「けんか別れ」だった。

実はこのけんか別れにはある有名な事件が絡んでいた。「W3事件」である。手塚治虫の作品の一つである「W3(ワンダースリー)」(事件当初は「ナンバー7」だった)のアニメ化を巡ってのトラブルであった。実は次章にて取り上げる「宇宙少年ソラン」とキャラクターが似通っている所があり、そこに手塚が産業スパイと疑い、激怒したという背景があった。著者にとっては寝耳に水だった。

第八章「再びTBSへ―『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』」

紆余曲折を経て、再びTBSにてアニメの仕事に関わることとなった。1965年~1966年に放送された「スーパージェッター」、そして同年に放送された「宇宙少年ソラン」である。全てTBSからの要請で行われることがあったという。両作品ともシナリオから関わっていた。

第九章「『宇宙戦艦ヤマト』下敷きは西遊記」

アニメの仕事を関わっている間、本業とも言えるSF小説の仕事も入ってきており、マルチに活躍し始めて着た。その時に舞い込んできた仕事が「宇宙戦艦ヤマト」である。このヤマトは1974年に放送されたが、著者は脚本やシナリオではなく、SF設定を担当していた。設定とはいえども、「宇宙戦艦ヤマト」であれば、根幹に関わる設定にあるため、著者のアニメ心にも火が点いたと綴っている。

第十章「パラレル・クリエーションのころ」

同時にSF小説も手がけたのだが、他にもSF作品としての会社を立ち上げた。それが本章で紹介する「パラレル・レクリエーション」である。そのメンバーにはそうそうたる人物がおり、後に宇宙戦艦ヤマトのアニメリメイクの監督を務める出渕裕などがいた。

第十一章「日本アニメの将来」

アニメ創成期の時に関わってきた著者が現在のアニメ業界はどのように見ているのか、そしてこれからのアニメはどうなっていって欲しいのか、自らの観点から取り上げている。

日本でのアニメが生まれた50年が過ぎ、もう間もなく60年の月日を経過しようとしている。その中でアニメ技術の進化は目覚ましく、数多くのアニメ作品を生み出してきた。もっとも私自身もアニメを鑑賞することが好きであるのだが、その根っこにあるのは著者をはじめとした日本のアニメを初めて生み出した方々であることを忘れてはならない。