車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」

生きにくい世の中である。しかし何かしらのハンディを持っている方々はその度合いが強いという。しかしこの「生きにくい」の度合いは、車椅子を押している方々もハンディを持っている人と同じように強い。車椅子を引いている、ただそれだけなのに、なぜここまで生きにくいのか、そして生きのびるためにどうあるべきか、本書は文化論的な観点から取り上げている。

1.「言葉にできない生きにくさの前で」

近頃ではある種自動車のように自動運転できる車椅子ができているのだが、押して運転するような車椅子もけっこうあり、その光景を目にすることも多々ある。その車椅子を押して動いている姿を見た印象は人それぞれである。私のようにごくありふれた日常のように思っている人も言えれば、かわいそうと思ってしまうような人もいる。とりわけ「生きにくい」という部分は後者のところが多くある。

2.「自覚なき悪意に息をうばわれる前に」

ここでは今から4年前に起こった「相模原障害者施設殺傷事件」のことを取り上げている。もっとも犯人に対する怒りもあるのだが、それ以上に障がい者に対する偏見への「怒り」が強くあったと言われている。もっともその「怒り」を表に出したのは、かねてから「障害者差別」に関して戦ってきたある人物がいた。

3.「都合のいい言葉を押し付けられる前に」

何らかの障害を抱えながらも日常として生きることをキレイなストーリーとして取り上げるメディアも少なくない。もっともそれらを感動的につくり上げることを2016年に「感動ポルノ」と称して批判する人もいた。もっともそういったストーリーは障害者の日常を不幸からの脱出と称して感動的に、都合の良い解釈として売りに出すといった手法として批判をする論者もいたという。

4.「生きのびるための表現」

何かしらの障害を抱えても前向きに生きている方々も多くいる。その多くいる中で心を病む方も少なくない。その心理状況などについてをアートとして表現する方々もおり、その作品を取り上げている。

昨今では健常者でも「生きにくい」時代であるのだが、それ以上に障害者の生きにくさは想像を超える。他人から見られる目もその生きにくさに拍車をかけていることは間違いないが、どのように生きにくいのか、それを表した一冊とも言える。