科学者が消える―ノーベル賞が取れなくなる日本

日本では「科学大国」と呼ばれ、毎年のようにノーベル賞を受賞する国となっていったのだが、ここ最近では「科学大国」が崩壊し、ノーベル賞はおろか、科学者そのものが日本に消えるのではないか、といった風潮も出てきている。本書はその現状を取り上げている。

第1章「憧れだったノーベル賞」

ノーベル賞はダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの遺言に従ってできた賞であり、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の分野で功績を残した人・団体に受賞するものであり、日本では湯川秀樹(ノーベル物理学賞)を皮切りに25人の受賞者がいる(日本国籍の人物のみ)。このノーベル賞受賞は科学者などにとっては栄誉ある受賞であるのだが、受賞としては若手時代における研究や発見、さらには基礎的な研究であることが多い。

第2章「研究者がいなくなる -空洞化する大学院博士課程」

その科学研究を行っていくにあたり、研究者をつくることが必要にあってくるのだが、その研究者もだんだんと減ってきているという。その理由として大学そのものの組織や仕組みによって、博士課程を修了しても、研究職のポストを当てられる保障がなく、ポスト待ちになっている、あるいは非正規雇用で雇われる人もいるという。もっとも博士課程終了して研究者になれるのは4割にも満たないという現状もある。

第3章「衰弱している日本の研究力 -主要国で最低レベルに凋落」

日本でも科学的な研究について、「科学技術白書」においても、さらにはイギリスの「ネイチャー」と呼ばれる科学雑誌ても、日本における科学研究の力が低下していると指摘している。ここ最近では論文の数・質ともに低下しており、研究者の数はもちろんのこと、研究を進めていくためのお金、つまりは予算も低下している現状がある。

第4章「忙しくて研究できない -「選択と集中」の弊害」

大学は数多く出てきているのだが、実際に研究ができているかといと、そうではない。国公立も私立も補助金・交付金が減少傾向にあり、なおかつ大学講義も含めて研究以外で行っていく時間が大きく割かれてしまっていることから、研究時間も右肩下がりの状況が続いている。

第5章「ノーベル賞が消える -研究者が共有する危機感」

特にお金の部分は深刻であり、研究の中でも根本をなす「基礎研究」ができない環境になりつつアルという。それは基礎研究に関する予算や費用が、他の研究よりも少なく、主要国でも最も少ない。その理由として先述の予算の低下もあるのだが、それ以上に実用化や応用化を求める風潮が強くなっていることも背景としてある。

第6章「大学解体のとき」

研究者になれない所の中で一つ懸念されている点として「頭脳流出」を指摘しており、現に日本人研究者が海外で研究を行うと言った風潮もあり、中には日本国籍を捨てて海外国籍を取得する人もいる。

既に中国では「千人計画」と題して国内外の若手の人材を集めて、科学研究や技術革新を図るといった動きを見せており、中には日本人も数十人規模であるが参画している。このような状況は政府でも察知しており規制に向けた動きを見せようとしているのだが、実質的に後手後手の動きになる可能性が高い。本章のタイトルからしてショッキングなものかもしれないが、かねてから現実的な動きになろうとしている事実がある。