今年の1月12日、本書の著者であり、ジャーナリストで作家の半藤一利氏がこの世を去った。世に送り出した本は数知れず、とりわけ戦前・戦後における近現代の日本史について多くの議論を巻き起こした人物として上げられる。
本書は元々軍人の合祀に批判的だった半藤氏だが、A級戦犯の合祀について反対しただけであり、戦争の犠牲者(戦死者)について祀ることについては否定していなかった。その祀られた軍人の中で特に強い印象を持つ人物を8人取り上げている。
<戦場の棒高とびオリンピック選手――大江季雄少尉>
1936年のベルリンオリンピックにおいて、棒高跳びで銅メダルに輝いた。同大会で銀メダルに輝いた西田修平と分け合い「友情のメダル」としたことは今も有名な話である。その翌々年に陸軍に召集され、大東亜戦争が始まったときにフィリピンのルソン島で戦死したが、その模様も取り上げている。
<ガダルカナルを生きのびた連隊旗手――小尾靖夫少尉>
大東亜戦争の中で最大の戦いの一つとなったガダルカナル島の戦いを取り上げているが、その爪痕を取り上げている本は数多い。しかしその中でも本章で取り上げる小尾靖夫少尉の日記は貴重な史料として名高い。実は本章では、その小尾靖夫氏と著者との対談を取り上げており、ガダルカナル島の戦いそのものの姿の一端を読むことができる。
<ニューギニア山中の駅伝ヒーロー――北本正路少尉>
今年最終10区で大逆転劇となった箱根駅伝。その歴史は対象まで遡り、戦前も親しまれていた。その箱根駅伝で1930年~1933年と4年連続で慶應義塾大学として出場し、全て区間賞を獲得した人物がいた。その人物が本章で取り上げる北本正路氏である(3区で1回、10区で3年連続)。しかも3年生の時(1932年・第13回)は3位で襷を受け、しかも、
二位の早大から五分、トップの日大に送れること十五分p.74より
からの大逆転優勝だった。しかし北本氏もまた大東亜戦争にて召集され、死線をくぐり抜けた。箱根駅伝のアンカーとして走り、逆転した負けん気をもって乗り越えたエピソードを明かしている。
<南の島に雪を降らせた男――加藤徳之助軍曹>
本章で取り上げる加藤徳之助軍曹は、元々俳優で、芸名は「加東大介」である。芸能一家の出で、戦前から俳優として活躍した。本章のタイトルである「南の島に雪を降らせた」は、兵士たちを鼓舞するために劇団づくりを任せられた。陸軍の召集を受けて、ニューギニア戦線で劇団をつくり、演劇を行った。その時の演出で雪を降らせたのが、タイトルとなり、後に小説化されるほどだった。
<漂流二十七日の死闘――松木外雄一等水兵ほか>
本章では海軍軽巡洋艦にて乗っていたフィリピンにて魚雷の被害を受けて、漂流を行った人物を取り上げている。漂流の中で飢餓に苦しみ、仲間が犠牲になっていく中で、生きのびた時の一部始終を取り上げている。
<三度もどってきた特攻隊員――川崎渉少尉ほか>
鹿児島県知覧町、薩摩の小京都と呼ばれる歴史的な町であるが、その一方で、大東亜戦争時に、陸軍の特別攻撃隊(通称:特攻隊)の基地が置かれていた。特攻隊員たちが、基地でどのようなエピソードがあったのか、その姿を取り上げている。
<国破れて名将ありといわれたひと――今村均大将>
東条英機と同期の今村均大将は「生きて虜囚の辱を受けず」などで有名な「戦陣訓」の作成にあたった人物の一人である。その今村はインドネシアとの関わりが非常に深く、特にインドネシア独立運動の指導者の一人であり、独立後、初代大統領に就任したスカルノとも関わりを持っていた。
<靖国神社の緑の隊長――吉松喜三大佐>
本書のタイトルである「緑の隊長」は本章で取り上げる吉松喜三大佐のことである。もっとも「緑の隊長」と呼ばれたのは戦後になってのことで、靖国神社の境内に苗を植えて、サクラの木々を植え始めたのが始まりであり、その後様々な木を植えていき、靖国神社は春は桜の名所として知られるようになった(ちなみに私も何度か桜の時期に行ったことがある)。
大東亜戦争にまつわるエピソードは数多くある。75年の時を経て、今もなお細かい所で議論の的になることが多々あるのだが、本書のように著者自ら当事者の声を取材して、あるいは史料を通してどのような人物だったのかを知ることは良いきっかけと言える。
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