14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」

「働く」ことは生活を行っていく上で必要なことはわかっている。しかしながら本当にそれで良いのかと思ってしまうような人・ことは往々にしてあることもまた事実である。私自身も仕事をしている身であるのだが、時折「なんで働いているのか」と言う疑問を持ち、考え続けてしまうこともしばしばある。

本書は著者が14歳の頃に炊き出しを手伝ったときにホームレスのおっちゃんに質問をしてから「働く意味」を探し続けた記録である。

第1部「自分の「働く意味」を見つける」

舞台は大阪府大阪市西成区にある、釜ヶ崎という所である。ここには寄せ場やドヤ街が集中する「あいりん地区」もまたここにある。住所不定の日雇労働者も多く、なおかつかつては暴動もあったとも言われている場所である。この「あいりん地区」で実際に生活をしたルポ本も出ているほどである。

著者は14歳の時に何気ない学校の帰り道にホームレスに出くわすことがあった。そしてインターネットで検索したとき、釜ヶ崎に興味を持ち、炊き出しを手伝うようになった。その手伝いの中でおっちゃんにある「質問」をした。質問の内容は本書の核心に入るが、周囲から聞くとこれほど残酷な質問はないほどだった。おっちゃんは怒りもせずに淡々と答えた。その「答え」が働くことに対する疑問につながった。

やがて著者は高校へ行き、実際に働くことへの意味とホームレス問題について関わっていくこととなった。フィールドワークにも取り組み、大学に入ると、今度は「起業」に向けて行動を行うまでになった。また同時期に放置自転車の問題についても考えるようになり今では一般化しているシェアサイクルの事業を興すまでになった。

第2部「みんなの「働く意味」を見つける」

起業を行う、あるいは就職をするとなると、自分自身の「働く意味」を考えるようになるのだが、特に起業を行っていくとなると、雇用を行い、取引や協力をするためのパートナーを作ることが必要になってくる。そのパートナーらとの関わりによって、それぞれの働く意味を見出すようになっていった。ホームレスなど苦しんでいる方々に居場所を与え、そして場所をつくるといった行動も実際に行うようになっていった。

「ホームレスは自己責任」という方も少なからずいるのだが、実際はそうではない。むしろ思ってもみなかったことにより、そうならざるを得なくなったと言う人も少なくない。社会は時として残酷なことがあり、そこから這い上がることができない人も少なくない。その方々に手を差し伸べる「勇気」と、そうするために「働く」とことを見出す姿がここにある一冊であった。