本書が取り上げる時期としては、内容としてちょっと時季外れの作品と言えるかもしれない。本書で取り上げる「カタツムリ」はどちらかというと、梅雨の時期によく出くわす虫である。その「カタツムリ」がどのようにして「歌う」のかが本書のタイトルを見て気になるところなのだが、そもそもカタツムリの生態とは一体どのようなものなのか、謎が多い生物でもある。その謎を本書にて解き明かしている。
1.「歌うカタツムリ」
「カタツムリ」と言うとよく知られている要素として、渦巻きのような貝に入っているようなものが目に浮かぶ。もっとも私自身もカタツムリを見たことがあるのだが、たいがいそのような感じだったことを覚えている。しかしカタツムリ自体、現在のようなイメージになったのは長年の歴史の中で変異を繰り返してきたことにある。
2.「選択と偶然」
もちろんこの進化の中で、色々な貝に生息していた。渦巻きの貝であるものの、ある意味ヤドカリにも似ているような貝で生息するといったこともあった。
3.「大蝸牛論争」
カタツムリの定義についての変化も生物学会ではよく論争の的として上がっている。本章では第二次世界大戦前後にあった論争のことを取り上げている。
4.「日暮れて道遠し」
東アジアの地においても、その大規模な「カタツムリ論争」に参加する学者がいた。それも日本人である。その日本人がなぜ論争に加わったのか、その顛末を取り上げている。
5.「自然はしばしば複雑である」
自然における進化の研究、そしてそれにまつわる論争自体は、帰着点があるようでいてなく、なおかつ複雑に交わってしまうことが度々ある。そのような状況の中で、数多くの「学説」も主張されてきた。その中身を追っている。
6.「進化の小宇宙」
進化のあり方は無限大にある。「無限大」を比喩するものとして「小宇宙」や「宇宙」といった言葉が度々取り上げられる。カタツムリそのものの進化はどのように広がり、「小宇宙」へと変化していったのかを取り上げている。
7.「貝と麻雀」
決してカタツムリなどの貝たちが麻雀をやるために卓を囲んでいる様を描いているわけではない。カタツムリをはじめとした貝の研究を行った第一人者として速見格がいるのだが、その人物を取り上げている。彼は貝の研究はもちろんのこと、麻雀もこよなく愛していたところから本章のタイトルになった。
8.「東洋のガラパゴス」
日本の離島にも独自に進化を遂げてきたカタツムリがいる。その場所は小笠原諸島であるという。その島に生息している独自のカタツムリを追っている。
9.「一枚のコイン」
カタツムリの進化は論争の的になっているのだが、進化のあり方そのものがあたかも一枚のコインのように表裏のように分かれているのだという。
カタツムリの辿ってきた歴史は人間よりもはるかに長い。長い歴史と進化を遂げていく中で地域にて独自に進化を遂げてきたカタツムリは沢山おり、今日もまた生息しているものも多い。カタツムリの歴史と研究の変化が本書にて収められている。
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