3.11は私たちの想像を遙かに上回るほどの災害でした。もちろん日本にも危機管理はありましたが、その危機管理の範疇を凌駕するほどでした。とはいえ、ある程度の危機管理はできたといった声もあります。
もちろん震災における絶望は、地震による津波による被害は甚大で、死者のほとんどは津波にのまれてしまっての溺死でした。
しかし絶望はこれだけではありませんでした。3.11の本震の翌日には福島第一原子力発電所にてメルトダウンが起こり、大規模な原発事故が発生しました。
「日本はこれからどうなるのだろう?」
その感情に苛まれ不安に駆られる日々でした。また仕事場や自宅の周辺にスーパーがあったのですが、どこの場所でもカップラーメンや水などが空っぽの状態が長らく続き、震災の中心から遠く離れていても、震災の苦しみを身を以て感じた時でした。
また輪番停電(計画停電)があり、当時は川崎市に住んでいたのですが、その影響を受けたこともこの時期でした。
「これからどうなるんだろう?」
このことがずっと頭によぎり続けていました。
私事が長くなってしまいましたが、被災地ではそれ以上に苦しいことがありました。地震、津波によって多くの命が奪われ、福島第一原子力発電所のメルトダウンに伴い、住む場所を失われた方々もいました。
震災以前にも「防災」の意識はあったのですが、それでは足りないと言うことを気づかされました。「災害弱者と情報弱者~3・11後、何が見過ごされたのか」では、特に情報弱者・災害弱者の存在が浮き彫りとなり、特に避難誘導の誤りにより多くの命を失った悲しい事故もありました。
復興前の「復旧」、そして復興についても遅れが生じました。「悪魔は細部に宿る 危機管理の落とし穴」でも述べたように危機管理について実質的に多くの委員会が立ち上げられ、実質的な指揮を行う人が多くおり「船頭多くして船山に上る」状態となったことも一因としてあります。
またこの震災をきっかけに「二番底」と呼ばれた不況の時代となりました。「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!」でも取り上げましたが、実質的に「不況」と言うよりも「恐慌」と呼ばれる時代とも言える時でした。
しかし、「やまない雨はない」「明けない夜はない」と言う言葉があるように、復興への灯火は時が経つにつれあちらこちらで灯ってきました。それは明日取り上げていきます。
コメント