シリーズ「追憶~3.11、あれから10年~」―最終日「光に向かって~震災から10年、追憶のその先へ~」

最終日を迎えることになりました。

未曾有の震災から10年、あれから色々な事がありました。もっとも「日常」と言う言葉がどれほどありがたいのかというのがよくわかりました。

過去にも取り上げたのですが、この東日本大震災をきっかけに大きな「国難」と呼ばれる時代に入り、「日常」とかけ離れた時がありました。

それから9年後の2020年。また日本に「国難」がやって来ました。ご認識の通り「新型コロナウイルスの感染拡大」です。ちょうど9年後の時期に、広がり始めてきており、緊急事態宣言が出るかどうか、と言う時期であり、特に週末は強い外出自粛があり、旅行はおろか、外にすら出られないような状況の日々が続きました。

災害ではありませんが、よくある日常からかけ離れたものとなり、なおかつ「ニューノーマル」と呼ばれる生活形態へと変化をしなければならない時とも言えます。

話が大きくそれました。東日本大震災は多くの死者を出し、今もなお復興の真っ只中にあります。その中で神社をはじめとした所の復興を取り上げた「光に向かって~3.11で感じた神道のこころ」です。

今まで数多く「東日本大震災」に関する本を取り上げてきたのですが、この本ほど強い印象に残った本はありません。

これまで当ブログ、また期間限定のブロマガである「蔵前トラック アーカイブ」でも取り上げたのですが、ある一文が最も印象に残っています。

この辺りだと、全然知らない人でも声をかけられるし、人と交流するのがあたり前にできるんです。顔見知りじゃなくても声をかけあえます。
大震災の被災地の東北よりも、東京は物質によって毒された“心の被災地”ではないだろうかと思いました。自分たちは感じていないけれど、ものすごく、心が“被災”しているような気がしたんです。pp.37-38より

被災した神社の宮司夫人が東京に訪れたときの一言ですが、自分自身神奈川県と、首都圏の所で暮らしているため、思わず自分事のように思ってしまい、衝撃を受けました。当ブログで取り上げたのは2012年6月ですので、あれから9年の月日が流れていますが、今も「被災」し続けているのかとも考えています。

東日本大震災から10年、色々な想いを取り上げてきましたが、いまも東日本大震災への復興は続いています。しかしこの大きな節目に、この過去を見据え、そして今をどうして生きるか、そして被災地への想いを馳せつつ、本シリーズを終えたいと思います。