東日本大震災から10年、同時に福島第一原子力発電所の原発事故から10年を迎えた。今もなお放射線被害が残っており、なおかつ今も福島県の一部地域では「帰宅困難地域」に指定され、今も自宅に帰れない方々もいる。
さらに言うと、この原発事故の原因究明は続いている中で、新型コロナウイルスなど、様々なことが起こったことから希薄化している。その現状を憂い、またメディアでも取り上げず、なおかつ政治的にも消されてしまった「証拠」について取材を通して明らかにしたのが本書である。
第一章「100ミリシーベルトの少女」
本章における「100ミリシーベルト」基準は、甲状腺等価線量の基準であり、ガンになるリスクが増えるか、変わらないかの基準値である(北陸電力「ちゃんと知っておきたい、放射線のこと」Q5より)。しかしながらその根拠とはいったいどこにあるのか、未だに謎である。
また本章ではもう一つの「謎」を暴いている。「放射線医学総合研究所」のある会議の資料にて、
11歳の少女が100ミリシーベルト程度p.16より
という報告があったが、これは公式の報道でも流れていない。その真相と知られていなかった文書の存在を追っている。
第二章「1080人の甲状腺被ばく測定」
放射線の影響を予測するシステムとして「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」がある。1970年代から議論はされ、実際に使おうと言った動きもあった。
実際に2011年にその予測も行ったのだが、当時の民主党政府は「パニックを避ける」として非公開とした。本章ではその真相を明かしている。
第三章「早々と終えた理屈」
SPEEDIをはじめ、甲状腺被ばく測定は原発事故が起こってから早い段階で終わった。しかしそのりゆはメディアでも明らかにされていない。なぜ終わったのか、電話のやりとりから内部資料に至るまで解き明かしている。
第四章「2011年3月17日」
東日本大震災が起こったのは2011年3月11日、その翌日の12日に福島第一原子力発電所の原発事故が起こった。それから5日後のことであるのだが、なぜ七日というと第一章でも取り上げた放射線医学総合研究所にて汚染クリアランスレベルの設定のことを表している。
東日本大震災および福島第一原子力発電所の原発事故は今もなお続いていると言っても過言ではない。もちろん10年経った今もなお、総括や評価などが定まっておらず、なおかつ議論が行われているかどうかすらわからない状態である。地震や事故からの教訓を学ぶことは必要なことではあるのだが、その出来事の裏には秘匿されていたことはあった。その秘匿の事実がなぜ行われていたのか、現在の政府というよりも、当時の政府がどう釈明をするかによる。
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