もののけの日本史-死霊、幽霊、妖怪の1000年

今となっては心霊番組はほとんどないと言えるに等しいが、もののけや幽霊にまつわる怪奇作品は少なからず残っている。しかしこれらはある種の「娯楽」という側面が強い。

心霊や妖怪といったものは現代というよりも、むしろ「日本霊異記」をはじめとした伝説や古典などで取り上げられることが多く、なおかつ伝承としても扱われることも度々ある。本書はその霊や妖怪といった「もののけ」について古代から近代にいたるまでの間、どのようにして扱われてきたのかを見ている。

第一章「震撼する貴族たち―古代」

日本における「もののけ」に対しての恐怖や畏怖は神話と呼ばれる時代から存在していた。「日本書紀」「万葉集」の中でも取り上げられた。

本章で取り上げている時代は平安時代のこと、藤原道長が実権を握っていた時代である。ちょうど同じ頃には陰陽師の象徴的人物である安倍晴明がいた。そのときにもののけがいたかどうかは不明だが、平安京にいる貴族たちを震撼したいうくだりもあったことから史実とも言えよう。

第二章「いかに退治するか―中世」

よくイメージするのが安倍晴明をはじめとした陰陽師が退治する(祓う)といったことを連想するのだが、本章では仏教における僧侶(それも高僧)、さらには今もゲームとしてある囲碁・将棋でもって退治すると行った話も存在している。

第三章「祟らない幽霊―中世」

幽霊をはじめとしたもののけと言うと、取り憑いて祟られるイメージが強い。もちろん祟られることも多々あるのだが、なかには祟ることなく、平穏に彷徨う幽霊もいた。その祟らない幽霊の存在について平安時代後半から鎌倉時代にかけての作品とともに追っている。

第四章「娯楽の対象へ―近世」

今でも夏にかけて怪談などが娯楽の要素となるのだが、その娯楽として扱われたのは、江戸時代に入ってからのことである。お化けや幽霊といった存在しているかどうかの論争もあれば、もののけを題材とした書物やカルタなども出てきているのもこの時代からである。

第五章「西洋との出会い―近代」

お化けをさらに娯楽のものとして、日本のみならず、西洋の妖怪も扱われるようになった。特に象徴的な人物としては「妖怪博士」として知られ、東洋大学を創設した井上円了が挙げられる。他にも文明開化と共に西洋の妖怪といった要素も日本に流れ込んできた。

時期的には季節はずれかもしれないが、妖怪や幽霊といった作品は今も昔も存在しており、特に娯楽として扱われ出したのは江戸時代に入ってからというのは新たな発見であった。幽霊を信じる・信じないはあるかもしれないのだが、伝承や娯楽、さらには史実として妖怪・幽霊といったもののけがあったと言うことは否定できない事実である。