ザ・ブルーハーツ―ドブネズミの伝説

私の生まれた1985年に結成し、その10年後の1995年に解散した「ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)」。中心人物である甲本ヒロトは、

意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前Wikipediaより

と語っていたが、様々な曲によって後付けではあるものの、当時の若者ならではの青臭さと、それによる反骨精神が合わさったような感がある。あくまで私の主観ではあるが。

活動期間はわずか10年であるが、鮮烈な活躍、そして曲を数多く残し、今のロックやパンクにも大きな影響を及ぼし続けている。本書はザ・ブルーハーツと曲の軌跡を取り上げている。

第1章「「1985」に始まる」

この「1985」は結成した同年の12月24日にて自主製作し、ライブ会場で200枚ほど配付されたものである。商業でのCDデビューを行う前に出たものであり、実質的に初CD化されたものであり、メジャーデビュー後初音源化した曲でもある。

この「1985」には深い意味が込められており、坂本九を失った日航機墜落事故、メキシコ地震などを映し出しており、大東亜戦争、および2度の原爆投下のことも歌詞に出している、社会性溢れる曲となっている。

第2章「「ドブネズミ」の行方」

本章のタイトルを観た方のほとんどはよく知っている「リンダリンダ」の歌詞に出てきている。ドブネズミの美しさを表している歌詞は本人の意図とは外れ、後の「TRAIN-TRAIN」などを含め国語学者から絶賛されるといったこともあった。

第3章「チェルノブイリに行きたくねぇ」

「1985」と同じく、1988年に自主製作として製作された曲の一つとして「チェルノブイリ」がある。この「チェルノブイリ」には「反原発」を色濃く映した歌であり、シングルとしては当時のレーベルでは許可が下りず、自主製作となった経緯がある。「1985」と同じように社会的なことを引き合いに出して、歌でもってシュプレヒコールを挙げる特色はザ・ブルーハーツの側面の一つでもある。

第4章「青空論」

ザ・ブルーハーツの歌の作詞は2人おり、甲本ヒロトか真島昌利である。ちなみに本章では後者が作詞を行っている。では甲本と真島はどのような歌詞の違いがあるのか。もちろん社会風刺などもあるのだが、どのように描いているかはハッキリと分かれていると言う。その「分かれている」点を本章にて取り上げている。

第5章「そしてナイフを持って立ってた」

本章のタイトルは「少年の詩」に出てくる歌詞の一部分である。作詞は甲本ヒロトであるが、その甲本はどのようにして詩を描いているのか、対談を行っている文献を引き合いに出しながら追っている。

第6章「社会派とは何か」

小説などの作品に関して「社会派」なるものが存在する。では歌はどうなのかと言うと、もちろん社会風刺を中心に曲を描いているとするならば「社会派」と言われるかもしれない。もっとも音楽にジャンルはあれど、クラシックのように印象派やロマン派はある。その一方で「社会派」といったものは本来であれば聞いたことがない。

これはあくまでクラシックに限った話であるため、ロックやポップスであればその限りではない。もっとも「○○派」といった定義はあってないようなものである。

ではザ・ブルーハーツは社会派か、と言うと社会風刺は描いていても、全部が全部というわけではない。曲の中には周囲から見てもワケの分からない歌詞・歌も存在する。

第7章「俺は俺の死を死にたい」

本章のタイトルは1993年に「STICK OUT」で発売したアルバムに収録されている曲の1つである。かねてから社会的な風刺からワケの分からないものまで作られてきた中で、初めて「死」と向き合った曲の一つである。

また本章では1994年に活動休止し、そして1995年に解散した経緯も併せて取り上げている。

 

第8章「神様について」

このザ・ブルーハーツの休止・解散の背景の一つとしてあるメンバーの一人が「幸福の科学」に入信し、曲や発言などで宗教を色を濃くしたものが取り上げられた。ではザ・ブルーハーツそのものは「神」を信じていないかというと、当人にしかわからないため「謎」としか言い様がない。ただ歌詞の中に「神」や「神様」といったものがあることは紛れもない事実としてあるが、なぜそれを入れたのかは不明である。

本書はザ・ブルーハーツの軌跡というよりも、歌詞と傾向を評伝形式にて紹介している。そのため国語的な意味と言うよりも、歌詞と傾向を評論しているため、ザ・ブルーハーツそのものの歴史をしるためともなると物足りない部分がある。しかしザ・ブルーハーツが残した軌跡・歌は本書では収まりきらないほど強烈であり、解散から26年経った今もなお私たちの心には残っている。