医療倫理超入門

「医療」と「倫理」。この2つは交わらないようでいて、実は交わる部分がある。それは「科学」と「倫理」の2つが交わる理由とほぼ同じようにある。科学は進歩するのだが、その進歩は人間としての倫理を超えてしまい、批判を行うといった論調があると同じように、医療においても「生命倫理」の観点で進歩そのものを批判するといった論調がある。

では医療倫理とはいったい何か、そして医療と倫理の対立とこれからはどうなっていくのか、本章では、そのことについて入門として解説しながら、考察を行っている。

第1章「医療倫理がおもしろいわけ」

医療は進化する。その進化の中には倫理的に合っているかどうかといった議論にもなる。もっとも医療面における「死」もまた議論の的になるのだが、それは次章取り上げることとして、医療は人の生命に直結するものであり、医療のあり方によっては訴訟になることもある。そのため訴訟と医療に関して、人間としての道徳を司る「倫理」がどうしても入ってくるのだが、その倫理がどのようなストッパーとなるのかを取り上げている。

第2章「幇助死――優れた医療行為か、殺人か」

医療における「死」としては、日本では禁止されている「安楽死」もあれば、クオリティ・オブ・ライフを保ちつつ、延命措置を拒否するといった「尊厳死」というのもある。それらは総称して、本章のタイトルにもある「幇助死」であるのだが、その「幇助死」自体は倫理的な議論に入ってきており、なおかつ非難される例も少なくない。

第3章「推論のための道具箱」

医療において何がベストな選択なのかはケースバイケースであり、状況や家族の心情によっても異なる。しかもその「ケースバイケース」の範囲は「倫理」の世界にもまた入ってくる。本章では「もしも」といったケースをもとにして倫理的な推論を取り上げている。

第4章「存在していない人々――少なくとも今のところは」

本章では何もお化けや幽霊を議論しているわけではない。元々は人体において自然に生まれると行ったものではなく、体外受精や、家族論的な意味での「養子縁組」といったものが倫理的な議論としてどのようなスタンスとしてあげられるのかを取り上げている。

第5章「狂気についての矛盾した考え」

病気における疾患は内臓や外傷と行ったものばかりでない。抑うつなどをはじめとした精神的な疾患もある。その精神的な疾患と犯罪に関しての研究は「犯罪精神医学」の学問があり、研究が進められているのだが、本章ではそれを倫理的にはどう見ているのかを研究している。

第6章「援助する者を援助する」

病気においての「ケア」は大切なことである。そのケアのあり方は病気の状況によって異なるのだが、倫理的においての「ケア」はどのような役割を示しているのかを取り上げている。

第7章「公平な手続の確立」

本章における「手続」は医療におけるものであり、特に大規模災害があったときにつけられる「トリアージ」が一例としてある。平等であるべきか、それとも命が続けられるものから行うべきか、よく倫理的な観点で議論される部分にもなる。

第8章「現代遺伝学と伝統的な守秘義務の限界」

遺伝子学は進化を遂げており、血筋の研究はもちろんのこと、病気面から遺伝的な要因があるかどうかといった研究が行われている。しかし遺伝子学となると、倫理に直結する部分があり、研究そのものを批判する倫理学論者も少なくない。

第9章「文化、同意、コミュニティ」

医療にまつわる研究そのものは、医療の進歩そのものである。その進歩によってかつては不治の病だったものが、完治する病にまでなった。しかし研究そのものの文化や進歩は時として倫理的にアウトと言われ批判されることも度々あった。

第10章「医療倫理の未来」

医療も科学も進化をする。しかしその進化の方向は時として倫理的に外れてしまうこともあり得る。そのストッパー的な役割として「倫理」が存在する。もちろんその倫理も技術の変化と共に変わってくる。どのように変わるのか、そして未来はどうなるのか、そのことについて取り上げている。

医療にしても、科学にしても進化するが、同時に倫理もまた「進化」をする。しかしその進化のあり方は「方向性」を正すこと、そのものにあり、正しさが日によって変わる。その正しさは倫理はもちろんのこと、ありとあらゆること全てに関わってくる。