ここ最近、ニュースで寄席の話が出てきた。それは東京都内で3回目の緊急事態宣言が出る直前に休業要請が出たのだが、「社会生活に必要なもの」と主張し応じず、通常通り続ける方針だったが、一転5月1日から休業することに踏み切った(12日に再開済み)。また寄席の文化を廃れさせないために、ゴールデンウィークの1日だけ、無料で生配信をやった。
このニュースを通じて、寄席は社会生活に必要なのかという議論があったのだが、寄席と言うよりも、「笑い」というエンターテインメントは社会生活に必要なことであると考える。時代の違う話で申し訳ないが、第二次世界大戦、そして大東亜戦争の敗戦で、寄席がほとんど閉まってしまった時代があった(開いても2カ所だけだった)。暗く、荒みきった世の中での光の一つが「笑い」だった。当時三代目三遊亭歌笑が「歌笑純情詩集」などを引っさげ、劇場を満員にするほどの人気が沸騰した。ジープに轢かれて逝去したが、そのことが日本がよみがえるきっかけの一つになったのかも知れない。
本書は寄席とは何か、楽しみ方とは何か、歴史など寄席のことについて取り上げている。
1章「寄席の事件簿」
寄席は多くの芸人が出演する。噺家が専ら多いのだが、漫才師や講談師、奇術師などもおり、様々な「笑い」を提供してくれる。長い時間の中で多くの芸人が出演するわけであるが故の「事件」も多い。しかし芸人であるだけに、その「事件」についてネタに埋め込みながら機転を利かせているさまがここにあった。
2章「寄席の楽しみ方」
寄席は広義で言えば、様々な場所にあるのだが、狭義で言うと「上野鈴本演芸場」「新宿末廣亭」「浅草演芸ホール」「池袋演芸場」の四軒を指していることが多い。その寄席には「定席」があり、数日ごとに演者が変わる。さらに言うと時間によっては落語、漫才・奇術などの「色物」、講談などがあり、飽きの来ない構成になっている。そして極めつけは演じるネタは日々変わることにある。同じ演者でも日によって変わっており、演者たちのあうんの呼吸(もしくは不文律)によって落語でも傾向を変えるといったこともあるため、毎日行ったとしても「舞台は生き物」の如く変わってくる。
3章「寄席の歴史」
寄席の歴史は深い。現在あるような寄席ができたのは、1798年に初代三笑亭可楽が下谷神社で開かれたものが始まりである。それから寄席がドンドンと増えて一時は400軒ほどにまでなったが、現在は世の中が便利になったこと、さらにはホール落語もできたこと、ラジオなどの媒体での出演も出てきたことにより、減少の一途を辿り10数件ほどにまでなったと言う。
4章「寄席のある街」
本章では四大寄席がいかにしてでき、なおかつ周囲の街並みと、どのように演じられてきたのかを取り上げている。私も全部ではないものの、行ったことがあり、中には江戸情緒溢れる部分もある。
5章「寄席の底ぢから」
寄席は「時代」にさらされ続けてきた。しかしさらされ続けている中で素人が芸人になり、やがて真打ちとなり、看板となっていく。それは落語でも、漫才でも、講談でも、色物でも変わりはない。どんなに世の中が変わっていても、普遍にあるのは「底ぢから」にある。
4章でも述べたのだが私も数えるほどしかないのだが、寄席に足を運んだことがある。ありとあらゆる角度の「笑い」を愉しむことができ、決して安くない木戸銭がどうも安く見えてしまうほど満足する。今となってはなかなか難しい時代になったかもしれないが「寄席」という空気は笑えなくなった世の中を明るくさせる効果がある。新型コロナウイルスの感染拡大によって危機に陥っている世の中で、寄席はまた新たな「底ぢから」が試されていると言っても過言ではない。
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