自分というジレンマ―批判・反抗・反問する私たちの射影

哲学というと、自分そのものの「アイデンティティ」とは何かについて問われることが数多くある。そのアイデンティティは時として「ジレンマ」として出てきて、さらなる疑問が生じてしまう。本書はそのジレンマとは何かについて「主体性」「一貫性」「仲間感」といった3つの要素にフォーカスを当てて取り上げている。

1章「主体性のジレンマ なぜ反抗するとスカッとするのか」

主体性は簡単に言うと、自らの意志で考え、行動するといったことが挙げられる。親の意見に反抗する、あるいは当てにせずに行動すると言ったこともまた主体性の一つとして挙げられる。その主体性をいかにしてつくるのか、逆にいかにして壊れるのかについて取り上げている。

2章「一貫性のジレンマ なぜ引きこもって「自分探し」をしてしまうのか」

「自分はどんな人間か?」という疑問はおそらく永遠の課題としてある。それを探し求めるあまり「自分探しの旅」に出かけると行った動きも見られるのだが、そもそも「自分」はどこから生まれ、どのように育っていくのかという疑問が浮かぶ。本章ではそのことについて取り上げている。

3章「仲間感のジレンマ なぜ暇なほど「いじめ」が起きるのか」

「自分」に関しての議論の中で画期的な所になるのだが、なぜかというと「自分」と「他人」が仲間をつくる、逆に「いじめる」と言ったことが起こるようになる。その起こる要因とはいったいどこにあるのか、そこには「外界」といった概念がある。

「自分」と言う議論を行う中で、様々な論考があるのだが、本書はあくまで「ジレンマ」を取り上げており、その中でも「主体」「一貫性」「仲間」の3つが中心となっている。特に「仲間」については社会問題に度々なる「いじめ」を哲学的に考察を行っている所が画期的であった。