今から10年前に起こった東日本大震災、そしてそこで起こった福島第一原子力発電所事故がある。中には「事件」として取り上げられるメディアも少なくない。実際に現在進行形で起こっており、地域によっては「帰宅困難地域」に指定され、帰宅することもままならない状態でいる所もある。
原発事故が起こったこと、そして各自治体がどのような対応を行ったのか、各自治体の職員らの証言をもとに綴られたのが本書である。
第一章「原発事故と自治体 「誘致」から事故が起きるまで」
福島第一原子力発電所は福島県双葉郡大熊町にあり、着工されたのは1969年、稼働開始となったのが1971年からである。なぜ東京電力が福島に原子力発電所を置いたかというと、戦前の頃から電力の送電を行う中で福島を経由することが多かったこと、もともと福島では戦前、戦後間もない時までは石炭産業が盛んだったのだが、衰退してしまい、なおかつ高度経済成長にも乗り遅れてしまったことから、経済的にも衰退をし始めようとしていた。
東京電力では新しく原子力発電所の設立の候補地をいくつか絞ったのだが、福島県議会議員の中で積極的に原子力発電所の誘致を行っていた人がいた。その誘致が成功し、原子力発電所ができた経緯があった。
メンテナンスなどを行いながら長きにわたって稼働し続けてきたのだが、東日本大震災における原発事故を機に廃炉が決定。現在は廃炉に向けて進めており、2051年に廃炉が終了する予定である。
第二章「大熊町で起きたこと、起きていること」
福島県双葉郡大熊町にて課長を経て副町長となり、現在は福祉法人の理事長を行っている方の証言を中心に取り上げている。
大熊町はちょうど福島第一原子力発電所が存在していたところであったことから、原発事故に対しての対応が迫られた場所の一つとして知られている。
地震発生から、原発の水素爆発が起こる前、起こった後、そして町民の避難など事細かく綴られていた。特に印象的だったのが、「板挟み」であったことにある。それは避難する町民が「どうして避難しなければならないのか」「いつになったら帰るんだ」といった苦言や怒りを向けられること、そして避難先では「汚染者」といったレッテルが貼られ、差別を受けた仕打ちがある。多くの声を聞く職員たちのストレスは想像を絶するものだった。
第三章「浪江町で起きたこと、起きていること」
福島第一原子力発電所にほど近い町の一つに福島県双葉郡浪江町がある。ここの町も現在一部地域で帰宅困難地域となっており、居住も制限されている。
地震発生から津波、原発事故から、避難といった流れもあったが、その避難に対しても、住民からの非難などの声が上がったのだという。非常に苦しい中での判断もあれば、苦情を聞くことも少なくなかった。
第四章「データから見た被災地自治体職員の一〇年」
ここ最近のニュースでも新型コロナウイルスのワクチン接種の予約受付に関してのコールセンターの実態について取り上げられる記事を目にする。第二・三章でも当時活躍していた職員の声を聞くと、特に対面で怒鳴られることがあり、強いストレスを覚えてしまい、健康被害を及ぼしてしまうケースもあることを考えると、通ずるものがある。しかも職員たちは震災から10年経った今もなお続いている実態がある。
震災は今もなお続いている。特に被災した職員たちは、住み慣れた町に帰ることを信じ、奮闘し続けている。自治体の方々は民を支えるために、震災という災厄の中で手探りの中で奮闘した足跡が本書にしたためられている。
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