学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場

世知辛い世の中になっていると言うほかない。学校の現場ではかねてからいじめや体罰と行ったことがあるのだが、文部科学省が学校弁護士(スクールロイヤー)の整備を行うような動きを見せている。いつ頃かは定かではないが、少なくとも2018年に日弁連からの意見書が出たこと、また同年にNHKにて学校弁護士について取り上げた放送も行われたことから認知されたのかも知れない。

そもそも学校弁護士は学校にとって何を弁護するのか、そして学校内では弁護士を入れないと行けないほどの問題が起こっているのか、そのことについて取り上げている。

第一章「スクールロイヤーは救世主か」

学校弁護士は必要なのかどうかと言う議論である。企業にも「顧問弁護士」といった法的に守る・監視するといった立場の人がいるように、学校の内情を知り、なおかつ弁護士としての役割を持てる人は必要である。実際に弁護士の中には学校問題に詳しい方々もいるが、学校の「中」に入ることが少ないため、法律論や事例をもとにしかわからない方がほとんどである。そのため学校の「中」を知るために学校弁護士を設置するという側面もある。

第二章「いじめ ―予防は困難だが適切な解決の助言役に」

「いじめ」は非常に根深いものである。学校の中にいてもわからないことがあり、法律的に裁けないケースもある。もっと言うといじめの中には自殺に追い込ませるような「事件」にまで発展するようなこともしばしばある。予防は非常に難しいのだが、問題が発覚したときに解決するための助け舟としての役割を学校弁護士が持っている。

第三章「虐待 ―弁護士の連携で防げる可能性は高い」

児童虐待防止法と言う法律があるのだが、その法律に違反する親も少なくない。学校通いを行っている人々の中には虐待を受ける人もいる。その虐待を防ぐためにも学校弁護士の存在があり、予防教育ばかりでなく、虐待対応も行っているという。

第四章「不登校 ―多様な背景を見極め、調整役に」

不登校対策はけっこう難しい。学校によることや、心身の健康面、特に最近では、学校の教育に関しての不満などによる「積極的不登校」もあるため、不登校対応に関しては法律を司る弁護士の立場からでも対応できないケースがある。

第五章「校則、そして懲戒処分 ―スクールロイヤーの腕の見せ所」

高速の中には今の時代にそぐわないものもあり、中には憲法違反の者まで存在する(頭髪など)。中には「ブラック校則」と呼ばれるほど理不尽なものがあるのだが、特にこの校則の制定や改正について、さらには懲戒処分について学校弁護士が腕を振るう所なのだという。

第六章「保護者対応 ―弁護士会の見解は真っ二つ」

モンスターペアレントと言われて久しいが、学校側における保護者のクレーム対応臭われることもしばしばある。学校弁護士の立場でもクレーム対応に対し、どのような対応が求められるのかを取り上げている。

第七章「体罰 ―現実的な対案を提示できなければなくならない」

体罰はここ最近減ってはきているものの、未だに残っている現状がある。この現状に対しては法律的な観点よりも、学校、もとい教師それぞれの価値観の違いなどが入り交じっており、なかなかなくなっていない現状がある。

第八章「部活動 ―白黒つける法律では判断が難しい」

部活動が「ブラック」となっている所もあり、中には強制的な活動になってしまっているところもある。本来であれば部活動は生徒の自主を育み、なおかつ互いの切磋琢磨によって強くなっていき、人間的な成長を促すと言うものである。しかしかねてから大会や優勝などに偏重してしまい、「やらされている」風潮にしてしまっている現状がある。学校弁護士の立場でも法律論で判断は非常に難しく、部活動を行う生徒と顧問の教師とのやりとりも大切であると同時に、各部活を束ねる連盟や協会による「改革」も必要であるという。

第九章「学校事故 ―子どもと教師を守るために」

学校にも「事故」はある。その事故が起こった場合に、どのように検証を行い、原因、対処を進めていく必要がある。ケースバイケースによってくるのだが、本章では事例としてどう対応を行っていけば良いかを例示している。

第十章「教師の長時間労働 ―原因はたった二つ」

教育問題の中には教師側のところでもある。それは「長時間労働」である。いわゆる労働法に関してのところであるが、授業や部活の顧問を行うだけでなく、業務量がかなり多く有、それを消化するためには、どうしても長時間労働にせざるを得ない現状があるという。その原因を突き止め、改善していく一翼に学校弁護士も必要であるという。

学校に弁護士というのも違和感があるかも知れない。しかし法律的に解決できるようなものも、学校における「問題」のなかにはいくつもある。それを解決まで導く役割として必要になってくることを本書にて訴えている。