きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる

「手話」が今では広がりを見せているのだが、本書の舞台である韓国でも同じである。社会的には広まってきているが、政府も公式言語として法律を定めるようになるなど、動きを見せている。

本書は韓国における聾者(ろうしゃ)の関わりを映し出したエッセイである。

一章「私はコーダです」

著者が自らであった女性、その名は「コーダ」と名乗った。彼女自身、その名前を知ったのは21歳になってからである。生まれながらにして耳が聞こえないのだが、コーダが幼い頃はそれほどろう者、あるいは手話に対しての認知がなかった。そのためか言葉と話す人とぶつかることもあれば、口で話せないハンディが重くのしかかることもあった。

二章「口の代わりに手で話す人々」

そこで出てきたコミュニケーション手段として「手話」があった。タイトルを読んで字の如く、口の代わりに手で話す・伝える方々である。家族が手話に関して知るきっかけとなったのはアメリカへ赴いてのことである。

三章「手で愛をささやく」

「愛」と言うと恋人がかわすようなものを連想するのだが、「愛」自体の定義は様々である。本章でも「愛」の矛先は「家族」に向いている。その家族に対しての愛を手話にてどう表現しているのかを取り上げている。

四章「私は幼い通訳者」

手話同士のコミュニケーション派あるのだが、聾者と健常者とのコミュニケーションはなかなか難しい。そのために「通訳者」が必要である。よくある言葉はもちろんのこと、手話の認知も持つ必要があり、架け橋になる役割である。本章では通訳の役割はもちろんのこと、手話以外にもSNSなどによる文字のコミュニケーションについても取り上げている。

五章「コーダ、そして新しい始まり」

何も聾者全員が手話を行っているというわけではない。聾者の中には口で話す方々もいる。本章ではその方々を取り上げると同時に、最近では日本でもよく使われる手話によるナレーションが韓国でどう浸透しているのかについて取り上げている。

手話は国際的なコミュニケーションとしても役立てられる。それは日本や韓国とて例外ではない。しかし健常者とハンディを抱えている方々の間にはまだ隔たりは存在する。その隔たりを少しでも取り除くこと、ハンディを抱える方々に寄り添い、自らも手話を始めとしたコミュニケーションの手段を増やすことは私たち健常者に課せられた使命とも言える。