企業にもCSR(企業の社会的責任)と言うものがあり、社会の公器として、どのように貢献をして行くのかと言う課題を常々持っている。経済を動かしていく、社会を動かしていく「責任」を持つという側面もある。
一方科学者はというと、当然「責任」があるのだが、それは研究としての責任というイメージがある。しかしながら、科学の進化を担っており、社会でも関わっていくことを考えるとなると、こちらもまた「社会的責任」が問われるようになる。では科学者における社会的責任はどうあるべきなのか、どのように責任を負うべきなのかを取り上げているのが本書である。
1.「社会的存在としての科学者」
科学者は科学的研究を行えば良いというわけでは無い。もっとも科学に関しては社会的な進化の一翼を担うことが挙げられる。そして根本的に社会的に「科学者」はどのような存在なのかについても紐解いている。
2.「責任の三つの相」
科学者における「責任」として本章では3つ取り上げている。
①…責任ある研究の実施(p.8より)
②…製造物責任(p.10より)
③…応答責任(p.13より)
この3つはなぜ取り上げられたのか、そして科学者としてどのように果たせば良いかを取り上げている。
3.「科学の原罪論と役割責任―日本における科学者の社会的責任論」
科学の進化によって、もたらされたのは、技術などの正の側面ばかりではない。メルトダウンや有害物質を広げてしまうなどの負の側面もまたある。
毎年「ノーベル賞」として化学や物理学などの受賞もあるのだが、もっとも真の目的としてアルフレッド・ノーベルはダイナマイト開発を行い、採掘や土木工事の促進に役立てられた。その一方で戦争の道具にも使われたことから「死の商人」という声もあった。そのことを重く受け止めたノーベルは平和として役立てるために「ノーベル賞」を創設するよう遺言書に記したことは有名である。
もっと言うと相対性理論を生み出したアルベルト・アインシュタインも広島・長崎に投下した原子爆弾開発の一端を担っていたのも有名な話である。
「科学」には正負療法の側面があり、特に負の側面が強く出ることもある。その「原罪」を持つことと、倫理的・道徳的に役立てられるための責任を担うことが求められる。
4.「不確実性下の責任」
科学的には良い側面と悪い側面がある。また確定的な側面もあれば、不確実と呼ばれる様な側面がある。特に不確実と呼ばれる中で、どのような予防策を立てていく必要があるのか、その責任も問われる。
5.「科学の倫理的・法的・社会的側面」
科学の進化は時として倫理的、法的な側面を超越するようなこともある。悪く言うと、倫理的、法的に反するような研究も存在する。手法にしても産物にしても、である。それをいかにして遵守していくのか、遺伝子組み換え技術など事例とともに取り上げている。
6.「責任ある研究とイノベーション」
ただ、研究そのものが悪と言うわけではない。責任をもちつつ、倫理や法律などの側面をクリアしながらの研究を行い、良い方向へつながるものもある。ではどのように果たすべきかを本章にて列挙している。
7.「これからの時代の責任」
これからの時代において、科学者はどのような責任を負うべきなのか、社会や倫理なども変化をしている。科学技術についても言わずもがな、である。本章ではその責任の変化と、求められるものの展望を挙げている。
科学を研究するにしても、社会に対してどのような貢献を行えるのかを考える必要がある。科学と社会はそれだけ密接している。だからでこそ、倫理や法律といった側面をいかにしてクリアしていくか、科学者では考えきれないことを求められているが、それらは各専門家の観点からの指摘も必要なのかも知れない。
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