うかれ十郎兵衛

江戸時代後期には化政文化と呼ばれ、多くの作品が生まれ、現在でも語り継がれている。喜多川歌麿東洲斎写楽恋川春町山東京伝曲亭馬琴と名を連ねるだけでもきりが無いほどである。その人たちを世に送り出したプロデューサーの役割を担ったのが、蔦屋重三郎である。現在あるTSUTAYAはこの蔦屋重三郎をあやかって名付けられたとされる。

寛政6年(1794年)に奢侈禁止令(しゃしきんしれい。いわゆる「ぜいたく禁止令」)が発令され芝居の町でも衰退の一途をたどった。蔦屋重三郎はいかにして多くの作家に檄を飛ばし、なおかつ名作を生み出し続けていったのか、その物語を取り上げている。

断っておくが本書はあくまで「創作」であることを忘れてはならない。史実では「奢侈禁止令」は複数回出ていたものの、1794年には奢侈禁止令は発令されておらず、代わりに東洲斎写楽が出現したことが大きな史実としてある。本書は短編集であるが、その1つに東洲斎写楽の10ヶ月が描かれており、今ある「写楽」と呼ばれる浮世絵をいかにして生み出したのか、そして蔦屋重三郎との関わりはどうなっているのかが、見事に映し出されている。