平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ

「学生運動」は過去の産物のように見えるのだが、実は現在も存在しており、有名どころで言えば、特定秘密保護法の2015年の平和安全法制に伴う、2015年安保運動に関して新しく出てきた団体「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」が有名である。SEALDs自体、本体は2016年に解散したが、地方の派生団体である「SEALDs RYUKYU」は現在も活動を続けている。

平成、そして令和にかけての学生運動は昭和と比べてどのような動きを見せているのか、本書はその学生運動を行っている方々の姿と傾向を取り上げている。

1章「2010年代から2020年代へ 学生が訴える──コロナ禍の生活、学費、性暴力、環境破壊、人種差別」

学生運動の中で訴えを起こしている要因は様々であるが、ここ最近ではコロナ禍に伴う学費や生活にまつわる話も少なくない。かつて「1968年を知らない人の『1968』」のシリーズでも取り上げたのだが、今から53年前になる1968年前後では大学の学生運動が盛んであった。その時は60年安保もあったのだが、それ以上だったのが、大学側の授業料の値上げによる抗議だった。本質は違えど、学費と学生運動の関連性はどうしても切っても切れないものか、と言うのを思わずにはいられない。

2章「SEALDsの衝撃──15年安保、国会前の占拠」

平成時代の中で最も大きな学生運動だったのが冒頭でも述べた平和安全法制における反対運動である。特にSEALDsの運動は連日のように取り上げられ、各地方でも派生団体ができるほどであった。

3章「民青100年! どこへ向かうのか」

「民青」は正式に言うと「日本民主青年同盟」である。1923年に設立され、再来年で設立100周年を迎える。元々は天皇制を打倒するといった共産主義であり、一時期は対立から共産主義を外したが、間もなくして戻し現在に至っている。

また民青の同盟員の中には日本共産党の党員にもなり、要職にもついた人も少なくない。年々減少しているように見えるが、実際の所は不明で民青自体も現在の同盟員数は非公表としている。

4章「15年安保、全国各地で学生は訴えていた──SNSで情報共有、全国をつなげる」

平和安全法制の抗議は俗に「15年安保」とも呼ばれ、拡大していった。特にSNSによって運動の規模は全国に広がり、60年安保とは比べるのは難しいものの、学生をはじめ、著名人も訴えるほどだった。

5章「元気な学生が多い大学──むかし東大、早稲田大、いまICU、上智大」

1968年の学生運動というと、数多くあるが、東大や早稲田、慶應、法政といった大学が多くあった。しかし、ここ最近では明治学院大や国際基督教大(ICU)、上智大といった大学も学生運動に関わっている。

6章「独自に活動を続ける学生たち──SEALDsだけではない。俺たちもいる」

学生運動を行った方々の中には、SEALDsではなく、独自で団体を作り、運動を行った方々もいる。その方々の姿を取り上げている。

7章「平成、令和の「過激派」学生──「極左暴力集団」と嫌われながら生き残る」

3章で取り上げた民青の他にも、学生運動を行った団体としては「全学連(全日本学生自治会総連合)」があり、派生団体として「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)」など多岐にわたる。

もっとも中核派や革マル派となると「過激派」、あるいは「極左暴力集団」と扱われることもあるが、現在の学生たちの中にはこの集団に進んで属した方々もいる。

8章「高い自民支持率。政権に逆らう学生が少ない理由──学生の政党支持率、政治意識を読み解く」

では、「学生全体」としてはどのような状況だったのだろうか。メディアでは平和安全法制の学生たちが多いと言ったニュアンスだったのだが、実際に運動に関わっていたのは「ごく一部」だった。実際には講義を行うどころか、当時の自民党を支持する方々が多かったという。

9章「学生は政治を変えられるか──社会運動の将来を考える」

学生の手で政治は変えられるかというと、難しい部分がある。声を上げることができ、覆した事例もある。ちなみに「政治」はあくまで国政ばかりでなく、地方はもちろん、大学内の政治も含まれている。

学生運動というと、1968年前後の運動が強く印象的だったのだが、2015年の所では学生運動がメディアにフォーカスされた。50年の時を経て、今もなお活動しているのだが、その活動のあり方にも「変化」があったことは忘れてはならない。

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