「男らしさ」「女らしさ」とはどこから来るのだろうかという疑問を持ってしまうのだが、そもそも男性でも「女らしい」ような人もいれば、逆に女性でも「男らしい」人もいる(中には「女子プロレス最強の男」と名付けられた女子レスラーもいる)。
そもそも性的な「らしさ」は死語になりつつあり、とっくの間に終焉しているような気がしてならないのだが、そもそもどこの面で「終焉」と著者は思っているのだろうか、本書はそのことについて取り上げている。
1章「魚に水のことを聞く」
そもそも「男性的」とはどのような側面を定義しているのか、なかなか難しいのだが、リーダーシップがある、自己犠牲が強い、パワフルである、といった考えを持ってしまう。しかしそれは女性にも存在するところがあるため適当とは言えない。著者自身も「男性的」と言うことに疑問を持っており、何をもって「男性」を表すのかの疑問を持っている。
2章「男性省」
「ジェンダー」という言葉が蔓延する中、女性の社会進出をするために「女性省」や「女性庁」といった省庁を持つ国もいくつかある。本章のタイトルはそれを皮肉としたのか、それとも、男性の活躍といったところを持っていたのかは不明であるのだが、男性の振る舞いをもつことで名付けられたのかもしれない。
3章「ノスタルジックマン」
これは男性・女性の性差というよりもジェネレーションギャップの一つとも言える。なぜかというと、昔のなつかしみ「昔は良かった」と主張する人も少なくなく、昔のノスタルジーを語るような人も少なくないためである。とはいえ「ノスタルジー」の中には男性的・女性的といった側面も少なくない。
4章「客観主義という殻」
相手から見た自分のイメージといった客観的な要素は男性であれば、女性であれば、といった妄想的な側面もあり、それがジェンダーにおける「殻」となっていることを指摘している。
「男らしさ」「女らしさ」はもちろん存在するのだが、一般的なものはなかなか難しい。というのはこの2つの「らしさ」のイメージはそれぞれの人がつくりあげたイメージであり、それに縛られている側面もある。著者自身も男らしさを疑う、あるいは縛られるなを主張しているのだがそもそも「らしさ」とは何か、一度枠組みを全て取り払って考えるべきではとも本書を読んでこう思った。
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