超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

特にここ最近ではコロナ禍の第五波が蔓延し、自宅療養(実質的に「自宅待機」と言うべきか)の人が増えており、中には独り暮らしで療養したが容態が急変し、亡くなるケースも後を絶たない。コロナ禍以前でも、かつては「無縁社会」と言う言葉でも書いたのだが、身寄りがなく、孤独に息を引き取り、ようやく数日、最悪数ヶ月経って発見されるといったケースもある。

本書はその孤独死の処理を行う「特殊清掃」の現場取材をもとに、孤独死が広がっている社会を糾弾している。

第1章「異常気象の夏は特殊清掃のプチバブル」

毎年かも知れないが、今年の夏は特に暑かった。私の出身地である旭川では1989年に36度となって以来32年ぶりに史上最高気温を更新し、中心部では37.9度、郊外の江丹別では38.4度も記録したほどである。

もちろん関東でも場所によっては40度や41度といった状況の中で、孤独死の発見が多くあり、特殊清掃を行う事が増えているという。もっともこの時期は孤独死後の異常な臭い、さらには虫が多発しており、そのことで特殊清掃に追われる状況が続くという。特殊清掃を行うだけあり、先述の状態も含めて凄惨な現場である。

第2章「燃え尽きて、セルフネグレクト」

孤独死にある背景として「生きづらさ」がある。この生きづらさからセルフネグレクトし、誰にも悩みを打ち明けられずに死んでいくというケースもある。中には親族の「確執」により疎遠になってしまった人々もおり、遺体や遺産の引き取りに応じない所もあるという。

第3章「孤独死社会をサポートする人々」

孤独死社会は完全に野放しにはしていない。民間でもサポートを行う方々もいるのだが、それでも手が回らないことが多い。では国は何もしていないかというと、やっと政府で今年の3月に対策室が設置されたが、機能しているかどうかも不明である。

本章では実際に孤独死のサポートを行っている方々を通して、なぜ孤独死が生まれていったのかの真相を明かしている。

第4章「家族がいてもゴミ屋敷に向かう」

孤独死というと、身寄りがないのもあれば、家庭崩壊などにより家族関係がなくなることによって生まれると言った側面もあったのだが、本章ではむしろ家族関係が良いところでも孤独死が出てきているという、目を疑うほどの現状を明かしている。同じ家族の中で暮らしているにもかかわらず、セルフネグレクトに陥る、あるいは怪しいもの・所に手を染めるといったものもある。

第5章「なんで触ったらあかんの? 僕のおばあちゃんやもん!」

特殊清掃のみならず、遺品整理業者もおり、所によっては行列のできる所もあるのだという。本章では孤独死と、その後の遺品整理の現場を取り上げている。中には家族もおり、その出来事も赤裸々に綴られている。

人間関係が希薄になるばかりが孤独死ではなかった。むしろ家族や人間関係が密になったとしても孤独死は存在しているという衝撃的な現状がここにあった。ではどのようにして解消していくのか、おそらく思っているよりも遠い道のりなのかも知れない。