泥棒しろ、ただし、俺の家は駄目だぞWikipediaより抜粋
これは著者の大師匠である七代目立川談志が弟子に対して言った言葉である。もっとも噺家はまっとうな仕事・発言などを行ってはならず、なおかつまともな生き方をするなということを意図して発言したのかも知れない。
そう考えるのであれば、その発言に対して忠実に行った孫弟子が本書の著者と言えるのかも知れない。
著者は噺家としては珍しい家を持たない。もっとも「青空の下が全て家」といった存在かというとそうではなく、ホテルなどを転々とするような生活を送っている。本書はまさに「住所不定」の噺家の人生、落語、生活を綴った一冊である。
第1章「持たない落語家になるまで」
本書の帯には師匠である立川志らくが、
変な弟子だがやろうとしている事はまさに現代である
と賞賛している。師匠をして「変な弟子」と言われるほど奇々怪々な存在なのかという。しかし本章を読んでいくとそもそも噺家はどういった存在なのかという意味を知ることができ、それを愚直に実行する。しかしその実行のあり方・考え方が愚直すぎてしまい「変」と思われているのかもしれない。
第2章「持たない落語家の1週間」
噺家の存在・仕事を愚直に考えて、モノを持たなくなったのだが、その生活をどのように過ごしているのか、その1週間を描いている。
第3章「実践・家もモノも持たない生活」
「モノを持たない」と言うと、扇子と袴だけで、何も持たずに生活して、乞食のように他の人に飯をねだるようなイメージを持ってしまう。もちろん著者はキチンと食べる場所で食べ、寝る場所で寝る。ホームレスと言えばホームレスなのだが、意図して家もモノも持たずに生活をする人生を選んでいる。特に衣服についてはAmazonで購入しているという。
第4章「お金について考える」
今となっては色々な通貨が出てきて、中には暗号通貨や仮想通貨なるものも出てきている。それらのお金も含めて、生活のために必要なお金をどうするかを著者なりの意見を取り上げている。
第5章「持たない落語家の仕事論」
そもそも落語は着物と扇子と手ぬぐいさえあれば大丈夫と著者は喝破する。座布団がなくてもできると言う。そう考えると「山田はいらないんじゃないか」、とどこかの師匠が言うかも知れないが。
それはさておき、噺家としての仕事観は噺家それぞれであるのだが、著者自身の噺家としての仕事の考え方を述べている。
第6章「ITと落語」
今となっては新型コロナウイルスの影響により、寄席を始め会場にお客さんを入れて落語を演じるのが難しくなった。もちろん会場や寄席も黙ってはいない。インターネットの動画配信を通してあたかも寄席に入って落語や色物を観たり聞いたりすることができるにまでなった。またITを駆使して噺や噺家を伝えると言うことも噺家の中でも何人かは行っている。著者はそのITをふんだんに活かして活動を行っている。
第7章「落語について」
著者自身が築こうとする落語、そしてこれからの落語界はどのように変化をしていくのか、その私見を述べている。
著者の生活は一風変わっていたのだが、落語、もとい噺家の歴史を紐解いていくと、住所不定の噺家もいるのかもしれない。中には借金取りに追われて、場所を転々として、天ぷら屋の屋根裏に生活をしていた噺家もいたほどである。まっとうに生きず、芸に精進する姿がそこにあった。
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