カンカラ鳴らして、政治を「演歌」する

歌の世界では「社会風刺」もしくは「批判」なども行われる事も多々ある。昨今のポップスでも、それを行っているアーティストも少なからずいる。

所変わって歌の世界でも様々なジャンルがあるのだが、本書で紹介する「演歌師」は明治末期から昭和にかけて広まった職業であり、現在ではほとんどいない職業である。よくある演歌歌手とは違い、大道を流し歩く、あるいはキャバレーなどの店を流れ歩き、即興で演歌を披露するといった方々を表している。ちなみに演歌師から演歌歌手になる人もおり、大御所として知られる渥美二郎や北島三郎もその一人である。

本書は数少ない演歌師の一人が演歌師として政治や社会を風刺しながら、演歌師が多くいた時代に歌われた歌を歌うこともあるが、なぜ演歌師になったのか、演歌師になる前、なった後の立ち位置なども含めて綴っている。

第一章「政治や社会をチクリと刺す「演歌」 ― 尊敬する添田啞蟬坊・知道のこと」

元々演歌というと、歌謡曲から派生したジャンルのことを表しているのだが、著者の言う「演歌」は「演説歌」であり、政府批判を歌に託したものである。いわゆる「プロテストソング」とも言われている。

明治時代後期において「自由民権運動」が行われたときに生まれ、昭和にかけて多くつくられた。昨今ある「演歌」とは別になるのだが、演説歌は演歌の源流とも言われている。

その演説歌で大きく活躍したのが添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)がおり、大正時代に流行した「まっくろけ節」がある。著者はその添田を心から尊敬していた。

第二章「「無翼」の歌、「庶民翼」の歌 ― カンカラ三線を持ってどこへでも」

著者が使っているのは「カンカラ三線(さんしん)」である。沖縄にてよくある三線があるのだが、ギターの弾き語りをしていたときに偶然で合った人が空き缶で作られたカンカラ三線を購入し、長年使うようになった。

第三章「同世代の流行り歌にこころ動かず ― ぼくが「演歌」にたどり着くまで」

著者自身が演歌にたどり着いたきっかけを取り上げている。流行歌に心を動くことがなかったものの、著者自身の生い立ちから、様々な人と出会い、その中で演歌に触れたことで傾倒するようになった。その後はなぎら健壱や高田渡、そして桜井敏雄の出会いにより、演歌を学び、それが現在の活動へとつながっていった。

第四章「歌ってつながる人の縁 ― 歌と酒と、厳しさと人情と」

全国津々浦々で演歌を披露していった結果、様々な人と縁を生んだ。時には厳しい事情に巻き込まれることもあったのだが、それでも演歌が多くの世代に受ける事を知った。

第五章「政治の過ちを風刺に変えてまっすぐに―松元ヒロさんに学んだ芸の姿勢」

「絶滅危惧種」ならぬ「絶滅危惧職」と呼ばれる仕事はいくつもあるのだが、演歌師もまたその一つとして挙げられる。その仕事の保護もあるのだが、それ以上に発展をしていくためにどうしたら良いか、そして様々な人を通して芸の姿勢はどうしたら良いかを綴っている。

昨今の新型コロナウイルス感染拡大によって、活躍する舞台は少なくなっているのかもしれないと思っていたが、今もなお全国を飛び回りながら演歌師として活躍している。令和の時代において残る演歌師の姿、そしてその方々によって生み出した演歌(演説歌)を引っさげて。

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