サリドマイド 復活した「悪魔の薬」

この頃新型コロナウイルスに関して治療薬やワクチンの開発がドンドンと進んでおり、国産の治療薬やワクチンの開発もそろそろ佳境を迎えていると言う話を聞く。治療薬などを含めた薬の開発は著しいのだが、薬の中には、中には薬の中でも好ましくないような分類に当たるようなものも存在する。

本書で紹介するのはサリドマイドであるが、薬、もとい化合物として知る方もいることだろう。むしろネガティブな意味で知られるケースも少なくない。特に本書ではかつて世界的にネガティブな印象付けられたある薬害事件により、悪い印象が持たれたところを中心に取り上げている。

第1章「サリドマイド胎芽症の発生」

そもそも「胎芽病(たいがびょう)」は、遺伝的な疾患を意味している。なぜサリドマイドにより、遺伝的な疾患として「サリドマイド胎芽症」が発生したのだろうか。その経緯辞退が、サリドマイドの化合物の誕生から遡っていく必要がある。サリドマイドは1853年にスイスの製薬会社が最初に誕生し、その4年後にはコンテルガン、日本では誕生から5年後に睡眠薬の「イソミン」として世に送り出された。

しかし発売当初は副作用として記載がなかったが、後になって妊婦が服用するにあたり、重大な副作用が出ることが1960年代に入ってわかり、なおかつサリドマイドを服用した妊婦から子どもが生まれたときには先天異常が認められる、いわゆる「サリドマイド胎芽症」が世界的にも出てきた。このサリドマイド胎芽症をもって生まれた子どもは1950年代後半~1960年代前半にて多くいた。

第2章「サリドマイド児の父―ビドゥキンド・レンツ」

ビドゥキンド・レンツ(ウィドゥキント・レンツ)はドイツの小児科医であり、遺伝学者であった。中でも遺伝学者は父であるフリッツ・レンツが優生学者(後に遺伝学者となる)を行った影響が大きい。

レンツはこのサリドマイド胎芽症に対して遺伝学的な調査を積極的に行い、その成果から「サリドマイド児の父」と言われるようになった。

第3章「サリドマイド英雄物語」

本来であれば、副作用に関しては臨床実験を含めた試験・実験が複数回必要なのだが、1950年代当時は実験に関しての基準は皆無に近かった。そのため、試験がなく薬が出回るようになり、サリドマイド禍などの薬害事件もあった。

このサリドマイド胎芽症の発生がきっかけとなり、薬事法など、薬事に関しての法律が世界的に改正されるきっかけにもなった。アメリカや日本ではその実例としてある。

第4章「サリドマイドの流転」

サリドマイド禍により、本書のタイトルである「悪魔の薬」と言われるようになったサリドマイドだが、近年は再評価の兆しも見えている。それはハンセン病の鎮痛剤として役立てられることも発見され、さらにはエイズやがんに対しての効果があることも発見された。そのことから日本を含めたいくつかの国では、処方の条件を課した上での認可を行うようにもなった。

第5章「各国の対応」

現在でもサリドマイド胎芽症は続いており、日本をはじめ全世界にて今もなお発症者は出ている。その実態を取り上げている。

第6章「サリドマイド胎芽症の障害学」

サリドマイド胎芽症は遺伝的な障害としてあるのだが、サリドマイド胎芽症はどのような障害に分類されるのか、また「障害」そのものにはどのような種類があり、どう分類されていくのかを取り上げている。

第7章「サリドマイド児の成長」

サリドマイド胎芽症を患った人はだんだんと成長していくにあたり、どのような治療を行い、なおかつ周囲の支え、障害との付き合いなどを行ってきたかを記している。

第8章「サリドマイド後症候群」

サリドマイド胎芽症の治療した後もまた後遺症など二次性機能障害が発生することも有、それを「サリドマイド後症候群」と定義している。一体どのような症状があり、さらなる治療が行われているのか、その実態を取り上げている。

サリドマイドの薬害は今もなお続いていると言うほかない。もちろん薬害があったことは事実であり、それと向き合っていく必要があることも待た課題としてある。その一つとして多くの実験・試験が行われ、副作用とそれに対してのリスクヘッジをどうするべきかを議論、そして検証を進めていき、ようやく新薬などで世に送り出すことができるようになる。そのように薬に関しての法律が世界各地で策定されているのだが、そのきっかけにこのサリドマイドの薬害があったことは忘れてはならない。