噺家の世界において「名人」と呼ばれる人は数多くおり、時代と共に変化していく。ごく最近で逝去した方でも十代目柳家小三治は昭和から令和にかけての「名人」として知られていたほどである。
本書はあくまで「昭和」にフォーカスを当て、どのような「名人」がいたかを取り上げ、特に印象に残る演目も含めて列挙している。
第1章「大正から昭和初期の落語」
戦前の噺家にも名人は数多くいるのだが、本章では昭和初期もさることながら戦後間もない時からも活躍した芸人もいる。柳家金語楼は戦前~大東亜戦争中において、「落語家の兵隊」を引っさげて輝きを放っていたが、戦後になると喜劇俳優としての道を拓いた。
第2章「「昭和の名人」と言われた落語家たち」
昭和初期から芽が出始め、戦後になってくると爆発的に人気を博した噺家も少なくない。本章ではのべ18人の名人たちが登場するのだが、人気の度合いは名人によって異なる。特に本章で紹介される噺家はどれもCD、中にはDVDやインターネット上でも噺が残っており、誰でも聴けるようになっているほどである(もちろん前章で紹介している噺家の中にも動揺に存在している)。
第3章「落語黄金時代の若手たち」
前章で紹介された名人が活躍していく中で若手として活躍し、後の名人になる人も少なくない。また同時期に新作落語などで活躍する人もいる。本章で紹介されている四代目柳亭痴楽もその一人であり、本章では紹介されていないのだが、三代目三遊亭歌笑もその一人である。第2章での名人にて五代目柳家小さんが紹介されているが、ちょうど同時期に真打ちになっており、戦前から戦後間もない時まで「若手三羽烏」と呼ばれるほどだった。
また昭和の名人がいた頃に若手として活躍し、昭和の後期から名人と呼ばれ始めた方々も少なくない。
第4章「メディア時代の落語家たち」
戦後になってくるとラジオ・テレビといったものが広まり始め、特に昭和中後期に入ると、七代目立川談志、三代目古今亭志ん朝、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝(八代目橘家圓蔵と主張する人もいる)が各メディアで引っ張りだこになるほどである。俗に「落語四天王」とよばれた(前章で紹介された初代林家三平は「あたしはその上のつけ麺大王」と言っていたほどである)。
第5章「上方落語の復興」
上方落語は大東亜戦争の時期になると漫才人気の煽りを受け、衰退の一途を辿ることになった。特に三代目桂米朝の師匠の一人である作家の正岡容(三代目三遊亭圓馬の門下)がこの状況を憂い、米朝を本格的に落語の道へ歩み始めさせたのは有名な話である。米朝をはじめ六代目笑福亭松鶴、三代目桂春団治、五代目桂文枝と共に「上方落語四天王」として、全国的に上方落語を広めていき、復興した。
第6章「おしまれつつ死んだ昭和からの名人」
本章では名人と期待されながらも惜しまれ、亡くなった2人の噺家を取り上げている。一人は古今亭右朝、一人は柳家喜多八である。この2人がなぜ名人の要素を持っていたのかを含めて列挙している。
冒頭でも述べたように昭和の名人たちの噺は多くのメディアで取り上げられ、容易に手に入るようになっている。もちろん現在活躍している噺家たちも、昭和の名人に追いつき、追い越せという勢いのもとで奮闘を続けている。
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