多様な子どもの近代 稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち

「子ども」の扱いはもちろんのこと、境遇も時代と共に変わっていく。かつては丁稚奉公といったもので、学校での勉強をせずに働きに出て、社会そのものを学ぶと言ったことがあった。そのため働くこと以外での知識がなく、文字も読めないといった人も少なくなかった。

やがて時代は変わっていき、子どもを取り巻く環境も変わってきた。本書はその子どもにまつわる「近代史」を取り上げている。

第1章「「稼ぐ子ども」をめぐるポリティクス――児童保護をめぐる多様な論理」

そもそも子どもの時分となると、学校に行く、いわゆる「義務教育」ができたのは戦後になり、「日本国憲法」「旧・教育基本法」などの法律が施行されてからのことである。小学校と中学校の全9年間は授業を受けるといった義務が生じる。その後高等教育を目指す場合は高校・大学へと進学するが、実質的に高校はほぼ全てが、そして大学でもほとんどが受講するといった流れになった。

しかし大東亜戦争以前は、こういった「義務教育」がなかった時代である。尋常小学校から高等教育に至るまでの学校はあったものの、経済的な理由などから小学校の時から働きに出る所もあった。その児童を保護するために「児童保護法」ないし「児童保護規範」が制定された。しかしそれらが法律として機能していたかどうかは不明であるが、本章ではその「不明」と言われた機能していたかどうかを検証している。

第2章「貰い子たちのゆくえ――昭和戦前期の児童虐待問題にみる子どもの保護の接合と分散」

ここ最近でもニュースにて児童虐待が目立って出てくる。もちろん児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)により禁止されている。では戦前の頃も児童虐待があったかというと、存在しており、なおかつ戦前も「児童虐待防止法」が1933年に制定されていた。

この児童虐待の定義として「児童」を14歳未満としており、なおかつ違反の内容によっては懲役や罰金刑といった罰則もついていた。

第3章「孤児、棄児・浮浪児の保護にみる「家庭」/「教育」――戦前期の東京市養育院での里親委託の軌跡から」

「捨て子」と言う言葉がある。もはや「死語」のように見えるのだが、実際には「赤ちゃんポスト」などによるものもある。ただ戦前には戦災を含めた孤児もあれば、棄児、さらには浮浪児なども存在しており、その中でどのように保護を行っていくべきかが課題の一つでもあった。戦前の東京市(現:東京23区)では「養育院」があり、そこで里親委託なども行っていたのだが、その実態と軌跡を本章にて追っている。

第4章「消費する年少者と家族の戦略――「活動写真」から「映画」へ」

子どものために「消費」する、あるいは「子ども」を使って(題材にして)消費するといった風潮は今も昔も存在している。特に後者はマンガ・アニメ・ドラマ・小説などでも使われることが多く、前者も子ども向けおもちゃやイベントなどがある。その傾向はコンテンツや技術の進化によって変わってきていることは確かである。

子どもの立場は戦前と戦後、さらには現代とで変わってきたことは確かであるのだが、児童保護や虐待に対しての考え方は変わっているところもあれば、今も昔も続いている部分もある。辿ってきた道が本当に正しいのか間違っているのかも、その時代背景があるため異なる。しかしながら「子ども」の定義も含めて変わってきた「道」がよくわかる一冊が本書と言える。