キリスト教とシャーマニズム ――なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか

韓国にも色々な宗教があるのだが、中でもキリスト教が多く。カトリック・プロテスタントの違いはあれど全人口の約3割を占めている。韓国、もとい朝鮮半島においてキリスト教の宣教師が初めて朝鮮半島の地を踏んだのはちょうど文禄・慶長の役の時で、キリシタン大名の小西行長とともに、イエズス会の司祭が渡ったことがはじまりである。その時に連行した朝鮮人女性が小西行長の猶子となり、キリスト教の洗礼を受けて「ジュリアおたあ」となったことは今も伝説として語り継がれている。ただその時はキリスト教が朝鮮半島に伝来することはなかった(おたあも日本に渡り、没している)。

正式に朝鮮半島にてキリスト教が広まりだしたのは18世紀後半頃、当時清王朝だった中国大陸の北京にて、李承薫が洗礼を受けて、平壌で礼拝所を設立して、布教活動を進めたところが始まりとされている。それから布教は広まったとはいえど、日本と同じように弾圧などがあったのだが、欧米諸国との関係構築により、キリスト教も広がりを見せていった。日本でもキリスト教の布教はあるのだが、韓国ほどではない(日本では全人口の10%以下とも言われている)。なぜ韓国ではキリスト教が多いのか、歴史・文化などの観点から考察を行っている。

第1章「シャーマニズムの中で生まれ」

韓国、もとい朝鮮半島には元々儒教やシャーマニズム(巫俗(ふぞく))が広がりを見せていた。「シャーマニズム」となると日本でもあるのだが、本書ではあくまで朝鮮半島にはおけるシャーマニズムの研究中心となっている。

第2章「シャーマニズムの研究へ」

韓国のシャーマニズムはどのようにして醸成されていったのか、そこにはキリスト教伝来以前から続いているため、非常に長い歴史でもって成り立っていると言える。しかしながらシャーマニズムを行うシャーマンたちは今もいるかどうかも気になるところだが、著者自身、自ら赴きシャーマンと出会ったことを綴っている。そのシャーマンの儀式と習俗がいかにして成り立っていったのかを取り上げている。

第3章「キリスト教との出会い」

著者自身のキリスト教との出会いについて取り上げている。著者が持っているキリスト教の本質、さらにはキリスト教との関わりと、日本人と韓国人との関わりなども列挙されている。

第4章「儒教とキリスト教の葛藤」

朝鮮半島や中国大陸にて長い歴史のなかで深く浸透してきたのが「儒教」の教えである。その教えが浸透している中でキリスト教が伝来し、広がりを見せた一方で、宗教間の「葛藤」が存在した。崇拝の対象から貞操観、倫理・思想のあり方などが中心となっている。

第5章「シャーマニズムとキリスト教の調和」

もちろんキリスト教が他の宗教と相容れられない部分もある一方で共通する部分もある。特に共通する部分にて「調和」を行える部分があるという。その部分はどこにあり、なおかつ果たされていったのかを取り上げている。

本書は韓国におけるキリスト教の歴史を紐解いているのだが、著者自身もまたクリスチャンである。その体験談と、李氏朝鮮の時代から続く中で儒教やシャーマニズムが展開し、受け入れられてきたのか2つのことを関わっているからでこそ見えてくる一冊とも言える。

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