圓丈の師匠である六代目三遊亭圓生が存命だった頃は古典落語が中心だったのだが、圓生が逝去してからは「実験落語」と称して、様々な新作落語を演じ、新作落語の旗手として名を馳せた。その活躍は現在の落語芸術協会会長である春風亭昇太や、圓丈の弟子である三遊亭白鳥ら新作落語を積極的に演じる方々に多大なる影響を与え、なおかつ今日の新作落語の土台を創った存在とも言える。
圓丈が活躍する以前にも新作落語は数多くあり、自作で描く方もいれば、落語作家に頼み、拵えたものを演じるといった例もある。本書の著者は数多くの新作落語を描いており、その経緯と、新作落語の数々を取り上げている。
第1章「二足の草鞋時代」
著者は元々サラリーマンでだった。その傍らで落語を聴きに落語会に顔を出したのだが、落語を描こうと思い、「幽霊の辻」を描き、直接二代目桂枝雀に郵送した。その結果枝雀に認められ、落語作家のデビューを果たした。しかしサラリーマンは退職しておらず、サラリーマンをやりながら落語作家を行うという「二足の草鞋」の時代の中で描いた噺を取り上げている。
本章で取り上げられている落語のいくつかは先述の二代目桂枝雀が演じられている。
第2章「専業作家時代」
会社を退職し専業作家になってからは新作を描くばかりでなく、演じられなくなった古典落語の復活や、改作、さらに江戸落語を上方化するなど、主に上方落語が中心となっている。
代表的な演目としては「星野屋」がある。元々は江戸落語だったが、上方落語に移植し、桂文珍らが演じられるようになった。しかしそれで終わりではない。後に今度は「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」として歌舞伎化としてつくられ、二代目中村七之助や九代目市川中車(香川照之)が上演し、喝采を浴びた。
「古典落語も、できたときは新作落語です」
これは五代目古今亭今輔がずっと口癖にしていた言葉である。五代目古今亭今輔は死神や塩原多助一代記などの古典落語も演じるが、多くは「おばあさん落語」を主軸に新作を演じることが多かった。名作と呼ばれる落語も元々は噺家の創作(中には「鰍沢」のように三題噺から生まれたものもある)であることが多い。
もちろん作家の方々が描いた者の中にも名作も存在する。そもそも「落語」は別名「噺」や「咄」と呼ぶことがある。特に前者の「噺」は新しいことを口演することから来ており、新しい解釈、新しい作品として世に出続けている。その背景に著者のように落語作家の姿もある。
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