失われた報道の自由

「報道の自由」は広げて良いのか、それとも現状維持か、プライバシー保護などで狭めた方が良いのか、それぞれの所から議論があり、解決の難しい課題と言える。昨年末にあった神田沙也加の自殺についての報道がまさにそれを考えさせられる題材の一つとしても挙げられると言っても過言ではない。

その一方で報道の自由が失われて言っている側面もある。その側面としては「政治」といった所にある。特にアメリカでは一流メディアにて偏向報道が相次いでいるという。果たして報道の自由とは何か、なぜ偏向報道が罷り通っているのか、アメリカを舞台に取り上げている。

第1章「政治的思想が色濃く反映されるニュース」

もっとも日本と同じようにアメリカにも右派・左派のメディアは存在する。左派として代表的なものは「ニューヨーク・タイムズ」があり、前の大統領の下では変化をしていたが、右派に近いのが「FOXニュース」などが挙げられる。もっともそれぞれのメディアにおいては社説などのコラムにおいて政治的思想が反映されることは往々にしてあり、日本でも同じようなことがある。

しかしながらここ最近の政治的な中枢にあたるホワイトハウスにおいて、ポストに入っている方々のなかには新聞記者なども何人かおり、報道においてもそれが反映しているため政治的思想が色濃くなっているという見方を示している。

第2章「建国初期の愛国的メディア」

もっとも政治的に色濃くなることにも歴史的な要因があった。今でこそ報道や表現の自由が国によって担保されている所もあればされていないところと様々あるが、かつては政治的機関の「検閲」がどこの国にも罷り通っていた。アメリカでも州や地方などで出版物の検閲を行い、許可された者しか世に出ることが許されなかった。それ故に本章で紹介されている「コモン・センス」のように、愛国的なメディアも多くあった。

第3章「現代の民主党機関紙的な報道」

建国から間もない時から現在でもそうであるが、党派の色が色濃く移るメディアもある。それが第1章で述べられた右派・左派のメディアといったものがある。本章では特にテレビニュースや新聞の中にある、民主党の機関紙に分類されるメディアたちの傾向を取り上げている。

第4章「報道の自由に対する真の脅威」

「報道の自由が脅かされている」と言うことはどのような所で言われているのだろうか。よくあることとしては、特定の報道機関・ジャーナリストに対して権力が攻撃をすると言ったことをイメージする事もある。特にトランプ政権の時には、そういった傾向が強くあり、その度に「報道の自由を侵害している」といった主張もことあるごとに繰り返されてきた。そもそもトランプに限らず歴代大統領のところでもメディアは「脅威」と主張し続けられてきた。

第5章「ニュース、プロパガンダ、事実ねつ造」

「ニュース」と言っても「事実」をありのままに報道するとは限らない。ありのままに報道することもあるのだが、各メディアの思惑によって見方・解釈を変える、本来はあってはいけないが、事実をねつ造するようなメディアまで存在する。

第6章「ニューヨーク・タイムズの裏切り」

アメリカで最もポピュラーなメディアというと「ニューヨーク・タイムズ」を連想する方々も多くいる。そのニューヨーク・タイムズは政治的にもリベラル・左派に属するメディアであるのだが、その報道のあり方について長らく物議を醸していた。それも第二次世界大戦の時からである。

第7章「共謀、権力乱用、人格についての真実」

アメリカのメディアにおける主張というと事実に基づいた主張ではなく、感情的なものかつ、裏が取れているのかどうか微妙なものも少なくないという。特にトランプ政権の時はそれが顕著に表れているのだが、背景の一つとして第4章にて取り上げているトランプのメディアに対する攻撃がある。

アメリカでもメディアに対する疑問・批判があるのだが、実はアメリカや日本に限った噺ではない。世界中のメディアが抱えているものでありつつ、そもそも「メディアとは何か?」という根本的な疑問も投げかけている。報道する側はどうあるべきか、メディアを見る受け手がどうあるべきか、根本的な議論に入るべきではないかと本書を読んでそう思わずにはいられない。

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