日本は「空気」によって支配されていると言われても過言ではない。しかしそれは今に始まったことではなく、かつては「世間」と言う言葉に当てはめて、あたかも「空気」と同じように扱われた。
論者によってはこの「空気」について批判的に論じた人も少なくない。しかし新型コロナウイルスの感染が拡大されたときからこの「空気」の先鋭化を指摘している。それはどのようなものがあるのか、そのことについて取り上げている。
第一章「ふたつの同調圧力に抗って―五輪とコロナ自粛」
昨年の東京五輪や、安倍晋三元首相に関しての議論が中心である。議論の中で特に「空気」にて顕著に表れているのが「同調圧力」である。これは現在の「空気」もあれば、かつては「世間」でもそのようなことがあった。
第二章「虚構の戦前回帰―歴史の教訓をアップデートする」
もっともその風潮は日本独自のものであり、大東亜戦争の頃にも同様にあった。時に戦争への機運が高まっていく中でメディアを中心に開戦すべきという風潮があった。陸軍の風潮と同じように。
そのような歴史があり、教訓として残っていたはずが、どこへ行ったのか。本章では教育やエンターテインメントにまつわる風潮を取り上げている。
第三章「プロパガンダの最前線へ―音楽から観光まで」
愛国というよりも相手国に対しての敵意やプロパガンダは今もなお続いている。特に本章では北朝鮮や中国へ取材した際にあったプロパガンダについて取り上げている。本章でも言及しているのだが、中国は「レッドツーリズム」が急成長しているがその背景と実情も併せて取り上げられている。
第四章「総合知を復興せよ―健全な中間をめざして」
よく右翼・左翼、保守・リベラルといった風潮で語られることが多いが、その中間点にいる思想として「中庸(ちゅうよう)」がある。しかしながらその中庸になることは難しく、知識・教養によっては「どちらかというと右」「少し左」というような思想を持つことが多い。かくいう私も色々な思想を持っているのだが「どちらかというと右」にあたる。
「歴史は繰り返す」をどうしても連想せざるを得ない風潮である。もっともメディアに対してどう疑うか、そして正しい情報を取得できるかがわたしたちにかかっている。今となってはインターネットにおける情報が沢山あるため、どれを取捨選択するか、そしてリテラシーをどうもつべきか、「空気支配」を脱するための一つと言えよう。
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