恥ずかしながら本書のタイトルを見て、つい「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけを連想してしまった。今はほとんどマンガ・アニメでクレヨンしんちゃんは観ないのだが、小さい頃はよく見ており、ことあるごとにパンツを脱いでいたシーンがあったことをつい思い出してしまった(現在ではそういったシーンは放送されていないと聞く)。
私事はさておき、本書は小中学生、そのなかにハンディを抱える子どもたちから発生する「性」に関してのトラブルと現状を著している一冊である。
第一章「「放課後に脱ぐ」子どもに悩む保護者」
小学校の時に児童館や児童会館というのがあり、帰りの遅い親たちの代わりに子どもの面倒を見る施設があった事を思い出す。探してみると現在でも児童館は児童たちの情操教育の場として公営・民営含めて4,398カ所(令和2年10月現在・厚生労働省「児童館について」より)存在する。
そのほかにここ最近では「放課後等デイサービス」と呼ばれるものもあり、ハンディを抱える子どもたちの面倒を見る、あるいは育てるための福祉サービスである。年齢は小中ばかりでなく、高校生までと幅広いのだが、ハンディの中には発達障害や精神面ものも存在しており、その面でのトラブルも後を絶たない。
第二章「立ちすくむ職員、立ち向かう職員」
子どもたちもそれぞれであるため、対応自体に正解自体が存在しない。トラブルに対して立ちすくむ職員がいる一方で、立ち向かう職員もいる。それぞれの職員たちが明かすエピソードを取り上げているのが本章である。
第三章「「問題行動」ではなく「成長の過程」」
「性」にまつわる行動が起こっていく中で捉え方も異なってくる。「問題行動」としてとらえる人もいれば、成長過程の一つととらえる人もいる。それぞれの立場から打開策として「性教育口座」を開催すると言った動きもあった。
第四章「「治す」「教える」「補う」で問題を解決する」
第二章にて「正解はない」と記載したのだが、ある程度の解決するまでの方法は確立されているという。しかしあくまで「方法論」であるため、人それぞれに合わせて柔軟に取り組んでいくことには変わりない。
第五章「「思春期の嵐」を乗り越えるために」
小中高生となると必ずやってくるものとして「思春期」である。この思春期はハンディを抱えていても、いなくても心理的に難しい時期と言える。だからでこそ悩み・問題といってものがある。そう言う意味では本章のタイトルにある「思春期の嵐」がよく似合う。
発達と学校、さらには家族やその人にまつわる問題として本書が挙げられる。しかしながらもともと「教育」は学校占有のものではなく、家族や地域も含めて協力していくと言うことが大切である。本書もまたそのことについて、どう取り組みをつくっていくかを考える一つのきっかけとも言える。
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