自考―あなたの人生を取り戻す、不可能を可能にする、日本人の最後の切り札

人間は考える葦である

フランスの哲学者であり、数学者であるブレーズ・パスカルが残した言葉の一つである。パスカルはどちらかというと数学者として有名であるが、この言葉も収録している「パンセ」のように、哲学的な言葉や考察も残している。深く説明すると人間は森羅万象の中ではちっぽけな存在に過ぎないが、「考える」ことにより、その森羅万象を超えるだろうという意味を表す。

ところが誰にでもある「考える」こと、それをやめてしまう、いわゆる「思考停止」状態に陥ってしまう人も少なくなく、昨今のニュースからどのように行動するのか、どう考えるのかをやめてしまうことも往々にしてある。そこで自分自身にて考える事、すなわち「自考」を行う事を提示している。

第1章「私たち市民の平和的な「革命」」

そもそも「自考」とは、自分で考えるのではなく、

①自分の頭で考えて、華邨のルールや価値観、やり方などを疑うこと。p.18より

②自分の頭で考えて、自分のやり方を見いだし、創り出すこと。p.20より

③自分の頭で考えて、自分以外の人を受け入れること。p.20より

などがある。自分自身が悪い考え、過去を捨て去り、これからを生きていくためにどうしたら良いかに変えることを指している。

第2章「日本人に欠けていた自考」

そもそも日本人としての思考の一つとして「現状維持」と言う言葉がある。しかしながらこの「現状維持」はウォルト・ディズニーに言わせると、

現状維持は衰退する

に等しい。現状維持を行うために責任回避する、なすりつける動きも有、なおかつメディアからの情報に対してシュプレヒコールを挙げたり、鵜呑みにしたりする。その悪循環が今の「生きづらい」社会をつくっている。

第3章「自考が「不可能」を「可能」にする」

「自考」は「自分で考える」という造語だが、「自分自身の考えを改める」という意味合いの方が強い。考えを変えるからでこそ、行動が変わる。行動が変わり、未来も変わる。このことにより「不可能」を「可能」にすることができる。

第4章「自己責任で情報と向き合う時代 自考で見極める」

「自己責任」を放り出している人々も多い。もちろん自己責任は全て悪いのではない。一人一人で生きていくのだから、情報もまた一人で手に入れ、取捨選択を図っていく必要がある。もっともメディアなどの情報の「リテラシー」はそこに根付いている。

第5章「自考で決別する 古びた伝統・慣習・価値観」

これは何年も前から書き続けてきたのだが、私の最も嫌いな言葉の一つに「常識」がある。常識自体は世間一般の考え方という意味合いもあるのだが、実はその人たちが培い続けた考え、悪く言うと偏見によって成り立っているものである。それを「常識だろ」と押し付けるのに嫌悪感を覚えることもある。第2章の中で日本人の多くは「現状維持」を是としているだけに、古いものにこだわる風潮がある。それにたいして「自考」にてどのように決別していくかを取り上げている。

第6章「会社員よ公務員よ、立ち上がれ 自考で目覚める」

現状維持に走ったことにより、数十年の時を「失った」。その失ったものは取り戻せないとするならば、いかにして立ち上がり、自考でもって突き進んでいくべきかを列挙している。

第7章「アメリカ人のセンス 出る杭を育て、やり直すことを認める」

「出る杭は打たれる」と言う言葉がある。一つ突き抜けたものがあると、打たれ同じようにするというものだが、これもまた日本の悪しき風潮の一つである。よく「協調」を重んじると言われるが、実際の所は「協調」でなく「同調」であり、一つでも異なる考えや才能を許さず、圧力を掛ける。

アメリカが全てというわけではないが、個性を大事にして、逆に「出る杭は育てる」という風潮も一つとしてあるという。

第8章「世界で埋没する日本 自考で食い止める」

世界は変わっていく。しかし日本は現状維持や同調が蔓延し、凋落の一途を辿っている。そのために食い止める要素として「自考」でもって他の国や考えに飲まれず、立ち向かうことが大切であると提言している。

現状維持、あるいは同調圧力に飲まれている日本。しかし人にある「思考」をいかに自分自身で行い、そして他人の考えを受け入れていくか。もともと考える葦である人間に立ち返り、そして選挙を含めて積極的に行動をしていく。その人が増えていくだけでも、人びとの行動が、そして未来が変わる。その指針が本書と言える。