熊楠と幽霊

昭和・平成・令和と生きた「知の巨人」というと、昨年4月に逝去した立花隆がいる。ジャーナリストなどの側面を持っていることから政治的なイメージも強いのだが、実は哲学・生物学などありとあらゆる分野に精通し、なおかつ知的欲求も旺盛だった。

そしてその「知の巨人」は過去にもおり、本書で紹介する南方熊楠(みなかたくまぐす)も明治から昭和初期にかけて活躍した「知の巨人」である。南方熊楠は博物学・生物学民俗学の各学者であり、同じ民俗学者の柳田國男をもって「日本人の可能性の極限」と言わしめた人物である。

その南方熊楠が「幽霊」にまつわる研究を行ったのだが、その研究はどのようなものなのかを記している。冒頭にも述べたとおり民俗学の中には「幽霊」をはじめとした怪異も入っているため、幽霊にまつわる研究を行ってもおかしくない。

第一章「幽体離脱体験」

幽体離脱はあるのだろうか、賛否ともに論者がおり、議論が絶えない。本章では熊楠自身が日記において「幽体離脱」を体験したことを記しているが、どのようなものが見えたのか、日記の記録から紐解いている。

第二章「夢のお告げ」

あらゆる学問に通じた熊楠だが、特に植物をはじめとした生物学の専門性は顕著だった。その学識の高さを買われ、1929年に昭和天皇への進講(天皇の前で学問の講義)を行ったほどである。また植物に関してもイギリスの植物学界からホープとして期待を掛けられ、事実イギリスの科学雑誌である「ネイチャー」にて幾度も論文が掲載された。その掛けられた期待があたかも「夢のお告げ」となって表れたと日記に記している。

第三章「神通力、予知、テレパシー」

特に生物学において、テレパシーはフェロモンにおけるやりとりであるのだが、本章ではむしろオカルトな部分でのテレパシーである。それは知人との書簡などで明らかにしている。

第四章「アメリカ・イギリスの神秘主義と幽霊」

神秘体験や幽霊に関しての研究の範囲は、日本に留まらず、アメリカやイギリスなどにも及ぶほどだった。それに関しての研究も行っており、そのレポートを明かしているのが本章である。

第五章「イギリス心霊現象研究協会と帰国後の神秘体験」

熊楠は1886年~1900年の14年もの間、アメリカ・イギリスにて留学を行い、現地で生物学を始めあらゆる学問を学び、研究していった。その帰国前後における体験を記している。

第六章「熊楠の夢」

「夢」と言うと、将来の「夢」というイメージを持たれるのだが、本章では熊楠自身が就寝中に見た「夢」を忘れないように日記にて記していたという。その断片を取り上げている。

第七章「親不孝な熊楠」

熊楠の家族について日記で記されている所を紹介している。熊楠自身は「親不孝者」としている。そのきっかけを含めた理由も綴っている。

第八章「スペイン風邪、死と病の記」

新型コロナウイルスが感染拡大する、その100年前に世界中に「スペイン風邪」が流行した。熊楠も一家でスペイン風邪に罹患した。ちなみに熊楠らが罹患したのは1918年の11月ごろにかけてである。その流行の状況も生々しく記されている。

第九章「足跡を残す幽霊と妖怪」

幽霊や妖怪のあらましは民俗学の中でも議論の的であるが、熊楠は幽霊はどのような存在なのか、またどのような妖怪が存在したのかを模写も含めて記している。

第一〇章「水木しげる『猫楠』と、熊楠の猫」

ゲゲゲの鬼太郎でおなじみである水木しげるが、1991年~1992年にかけて「猫楠」というマンガを連載した。この「猫楠」こそ南方熊楠の半生を伝記的に描いた作品である。なぜ水木しげるが南方熊楠に着目したのか、別の文献では人となりが面白かったからとされているが、さらに掘り下げられた理由が本章にて取り上げている。

本書は南方熊楠と霊異との関連性を取り上げているのだが、日記や論文など膨大に記してある中で取り上げるだけでもかなりの量であることが想像つく。量だけではない。どれだけ霊異について研究を行ってきたのか、その質と情熱の高さ・強さがひしひしと見えてくる一冊と言える。

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