メンタルの所で、色々な事があると、壊れてしまったり、不安定になってしまったり吸うことが往々にしてある。そこから脱するための方法は様々であるが、その中でも不安や心配を解消するために「無」になることを本書では説いている。よく仏教の世界でも「無我の境地」があるなど「無」に関してはネガティブのように見えて、ある種の「悟り」に近い要素を秘めている。またその「無」こそが、情報過多の時代において、最高の状態であることも著者は主張している。
第1章「自己」
あなたはなぜ苦しんでいるのか、なぜニーズを満たされなくなっているのか。または怒りなどの感情を持っているのか。「自己」をどのように見つめていくかを紐解いている。
第2章「虚構」
人との関わりを持つ、あるいは自分自身を見つめる中で、ある「虚構」が生まれる。それは「嘘」として言葉で発せられることもあれば、「錯覚」という名の如く自分自身の(精神の)中に嘘をつくりだすようなこともある。もっとも脳としての「意識」自体が現実では無く、それを基にした「理想(物語)」も考えるからである。
第3章「結界」
スピリチュアルなタイトルであるが、実は本書における「無」の境地をなすためには重要な要素である。ちなみにタイトルを調べてみると、
1.修行や修法のために一定区域を限ること。また、その区域に仏道修行の障害となるものの入ることを許さないこと。
2.寺院の内陣と外陣との間、または外陣中に僧俗の座席を分かつために設けた木柵。
3.帳場格子。「広辞苑第七版」より、また本書p.83にも一部掲載
とある。とくに本章では1.の部分におけるところにて、どのように「結界」をつくるべきかを紹介している。
第4章「悪法」
失敗を含め、感情を悪くしてしまうようなこと、行動などを「悪法」と呼ぶ。しかもその「悪法」は人生を左右するようなことも往々にしてある。どのようにして対処を行うのか、あるいは心構えが大切かなどを取り上げている。
第5章「降伏」
「降伏」と言うと戦争などの戦いに負けることを表すイメージを持たれる。しかし本章における「降伏」は痛みや感情などのネガティブなものに対して、対抗せずに「受け入れる」ことを示している。
第6章「無我」
冒頭にて書いた「無我の境地」である。その「無我」をいかにしてつくっていくべきか、その考え方を説いているのが本章である。
色々な情報が入り、感情も入り交じる。また自分自身の考え方も変化して、心身の面で良い変化があれば良いのだが、悪い変化を起こしてしまい、うつなどのメンタルの病気に陥ることも出てくる。そこから脱する方法の一つに「無」になることも必要である。
もちろんいますぐに「無」になれというわけではない。「無」になるための段階がいくつもあり、一つ一つ学び、実行していくことにより「無」の境地になり、最高の状態になるという。仏教からきているのだが、情報過多な今の社会において必要な要素が「無」と言えるのかもしれない。