台湾流通革命 ――流通の父・徐重仁に学ぶビジネスのヒント

台湾は日本の隣国の一つでありながら、最も親密な国として挙げられる。海外旅行となるとその国々の言葉を覚える、あるいはガイドブックを手に入れることが必須になることが多いが、台湾の場合も同様であると同時に日本語も思っている以上に通じる。通じる人の多くは日本統治時代を知る高齢者、もしくは日本の文化を積極的に学ぶ若者たちが多いという。しかも経済的にも発展しており、日本と錯覚するかのような充実ぶりと言われている。

その中でもコンビニを含めた流通は日本を超えるものだと言われている。その「超えるもの」に成長させた人物が本書で紹介する徐重仁(じょ じゅうじん)である。早稲田大学にて商学を学び、学んでいる間にセブンイレブンの魅力を知り、台湾へ上陸させた。さらにはヤマト運輸を始め多くの流通業を台湾に上陸させ、瞬く間に「台湾の流通の父」と謳われるようになった。その生涯と「台湾の流通の父」になるまでの秘訣を取り上げている。

第一章「日台連携事業と経営人育成の成功の秘訣」

徐重仁が行った事業はコンビニエンスストアだけでなく、無印良品やヤマト運輸など多岐にわたる。特に小売業についてはフランチャイズを成功させたが、どのような戦略家は第四章にて詳しく取り上げる。

そもそも日本でもメジャーと呼ばれた企業を「日台連携事業」として、昇華した要因とは一体どこにあるのかを取り上げている。

第二章「小売業で成功する父の背中を見て育つ」

そもそも著者が流通業・小売業において成功に導いた要因は徐重仁自身の部分もあるのだが、根底の一つには父親の姿もあった。その父親は徐水林(じょ すいりん)であり、大東亜戦争後に蔣介石率いる国民党政権の中で、小売業を築き、成功させた人物でもある。徐重仁はその父の背中を見て育った。

第三章「出店戦略―ゼロから約5000店までの道のり」

「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」にてセブンイレブンが取り上げられているが(「日米逆転!コンビニを作った素人たち」)、その中で1974年に日本で1号店ができ、その後2年で100店舗を達成できたといったくだりがあった。そのナレッジを台湾に進出すべく提携を行い、1980年に台湾でセブンイレブンが初めて生まれた。100店舗に展開するのは6年とかかったとはいえそこから出店ペースは上がり、現在では約5000店展開した。

第四章「台湾独自のフランチャイズ戦略」

そもそも徐重仁がセブンイレブンを台湾に進出するまでは、台湾において「フランチャイズ」や「加盟店」の概念は存在しなかった。日本やアメリカなどの国が中心だったためである。

その中で特にコンビニエンスストアの戦略として、徐重仁が掲げていたのは

加盟店を大切にすれば、コンビニ事業は必ず成功するp.100より

とある。昨今では加盟店と本部との対立などもある中でフランチャイズの原点を忠実に守り続けてきたと言っても過言ではない。

第五章「商品開発戦略―すべてはお客様のために」

「プロジェクトX」でも言及されていたのだが、日本にセブンイレブンが進出してきた時、セブンイレブン発祥の国・アメリカでもマニュアルは存在した。しかしながらそのマニュアルは分厚いながらもごく当たり前のことしか書かれておらず、役に立たなかったとある。

そのため日本でも独自のマニュアルをつくり、成功に導いた経緯がある。第四章の戦略に合わせて商品開発についても「台湾独自」のものにカスタマイズされているのだが、どのようにカスタマイズされたのかを本章にて言及している。

第六章「IT戦略で台湾の流通システムを一気に近代化」

コンビニエンスストアとしてのシステムの中には「流通」もある。特にPOS(販売時点情報管理システム)は日本でもセブンイレブン進出してから使われ出し、飛躍の要因にもなった。しかし台湾ではPOSだけでなく、EOS(電子受発注システム)もまた台湾で初めて導入した。そのことによりセブンイレブンを起点に流通システムをITを用いての近代化も行われた。

第七章「独自戦略でさらなる飛躍」

本章では日本でも採用されているもいくつかあるのだが、いずれも台湾ならではの技術・ノウハウを取り入れながら作られ、成長して行ったものばかりである。公共料金支払・ATM・イートインなどが本章にて取り上げている。

第八章「物流戦略」

セブンイレブンによる流通システムの近代化は、やがて他の小売業を含め様々な業界にも波及し、台湾全土の流通システムの近代化にまで果たした。出店にしても都市部からかなり離れた所まで進出し、一種の「インフラ」の部分も担うようになった。

第九章「グループ経営のための戦略」

「台湾の流通の父」と呼ばれる所以はセブンイレブンばかりではない。また徐重仁自身はコンビニエンスストアばかりでなく、ヤマト運輸や無印良品の台湾進出も手がけた。そのこともあり、事業多角化により、グループ会社になっていった。そのグループ会社の経営を行う際にも徐重仁ならでの戦略があった。

第一〇章「第二の実業家人生」

2012年に社長を退任し、シンクタンクや台湾総統府国策顧問も歴任し、そして現在では「重仁塾」の塾長として第二の実業家であると同時に、過去に行ってきたノウハウや考え方を次代に受け継ぐために奔走している。

台湾は日本や中国、韓国にも引けを取らないほど近代化が進んでいる。その中でセブンイレブンを始め多くの企業を台湾に進出し、そして台湾を近代化させた「父」の存在と足跡、さらには戦略が余すところなく明かされていた。日本でも学ぶべき所が多い一冊でもある。