昨今はどれくらいになっているのかはわかりませんが、1日200冊もの新刊が出ている世の中です。しかし日の目を見て、なおかつ重版するなどの人気を博すような本はほんの一握りしかないような状況。また実際にためになる本となると、なかなか出会うこともありません。
とはいえ沢山の本が出ている現在ですが、大昔は本を出すこと自体が難しいほどでした。もっと言うと活版印刷が表舞台に立つ前まで木版などで本が出ていたほどです。
印刷手法はさておき、長い歴史のなかで数多の本が生まれたのですが、時には「奇書」と呼ばれる、奇怪な本も出た歴史があります。本書はその奇書のなかでも歴史を動かしたとされる奇書を10冊紹介しています。
01.「魔女に与える鉄槌」
1486年にハインリヒ・クラーマー(本書では「クラーメル」としている)が上梓した一冊です。元々クラーマー自身が魔女や宗教裁判における「異端審問官」でありました。しかしクラーマーが行った審問の手法は暴力・改ざん・脅迫何でもありで、当時の基準でも非法極まりないものでした。
その手法に反発した貴族や現地教会の反発もあり、審問委員会(裁判官における「弾劾裁判」のようなもの)でクラーマーは敗北を喫しました。その敗北に怒ったクラーマーは本書を一気に書き上げたのです。
この「魔女に与える鉄槌」は先述の怒りから審問委員会への批判や魔女に対する怨嗟かと思いきや、魔女を見つける技術や拷問の仕方などの「ハウツー」の部分にスポットを当てているものです。
02.「台湾誌」
今でこそ先進国と引け取らず、日本としても親しき隣国として扱われる台湾ですが、本章で紹介する「台湾誌」が出た当時は「化外の地(けがいのち)」と呼ばれ、中国大陸における「中華思想(華夷秩序)」の影響が及ばない地域でありました(ただし大清帝国の統治下にはありました)。
このような歴史があるなかで、1704年、ジョルジュ・サルマナザールによって出版されました。しかしそのサルマナザール自身が「台湾人」と詐称し、台湾において荒唐無稽な主張を行い、ある種「ステレオタイプ」の台湾像を植え付けた大元、悪く言うと「元凶」という一冊でした。
03.「ヴォイニッチ手稿」
1912年にイタリアにて出版された「ヴォイニッチ手稿」ですが、本書は「奇書中の奇書」とも言われるほどです。古文書ではあるのですが、未だに未解読である文字・内容もあることから、本書に関しての解読も、今日において進められているほどです。
しかも奇怪な文章・表現から、一体何を伝え、どのような本なのかも未だ謎に包まれており、諸説あるほどです。
04.「野球と其害毒」
昨今ではWBCで日本が優勝したことに沸いた野球。その最中においてもある芸能人が野球に関して興味のない発言を行い、批判を浴びたといったこともニュースとなりました。
実はこの発言に限らず、野球そのものを「害悪」と主張する論者は昔から存在しており、古いものですと1911年8月~9月に書けて「東京朝日新聞(現:朝日新聞)」にて連鎖イレされたコラム「野球と其害毒」があります。このコラムは新渡戸稲造、乃木希典など著名人を巻き込んで批判を行うと言ったものでした。特に新渡戸稲造は、
巾着切り(スリ、泥棒)の遊戯p.77より
と主張するほどでした。
05.「穏健なる提案」
「ガリヴァー旅行記」で有名なジョナサン・スウィフトですが、もう一つの代表作として「穏健なる提案」があります。しかしそのタイトルはあくまで「略称」で、本来は、
アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案
という長いタイトルです。1729年に上梓された当時のアイルランドにおける窮状を訴えた「諷刺」を描いています。
まともな本のように見えますが、この「穏健なる~」という部分が「奇書」である所以なのだそうです。
06.「非現実の王国で」
「穏健なる提案」と同じく、本章で紹介される「非現実の王国で」も略称で、本来は、
非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語
というタイトルです。小説でありますが、巷では「世界一長い小説」と言われています。タイトルが長い小説か、と思いきや、著者のヘンリー・ダーガー自身、19歳から、約60年にわたり描き続け、ページ数は15000ページにまで上るほどだそうです。
描いた期間もさることながら、描いたページ数もギネス級ですが、全て出版物として刊行されたことがなく、一部が出版物として刊行されているだけです。ちなみに全文はニューヨーク近代美術館をはじめいくつかの美術館にて所蔵されています。
07.「フラーレンによる52Kでの超伝導」
本章で取り上げられている本は、すでに取り下げられ、刊行されていません。
「フラーレンによる52Kでの超伝導」は2000年にヤン・ヘンドリック・シェーンにて解き明かし、論文として発表されたものでした。その後いくつもの科学賞を受賞し、超伝導の第一人者とも目されるようにまでなりました。
しかし2002年、その研究に際し、いくつかの嫌疑が掛けられ、研究における不正行為が露見され、シェーンは一連の研究を全て取り下げられ、科学者としての道を絶たれました。
08.「軟膏を拭うスポンジ/そのスポンジを絞り上げる」
今でこそ、怪我や病気などの薬、特に怪我に対しては「軟膏」などの傷薬が盛んに利用されています。その「軟膏」に関して16~17世紀にかけて「武器軟膏」と呼ばれるものもありました。それに関しての論文2本を本章にて取り上げていますが、後に「偽医療」であることが分かり廃れていきました。その武器軟膏を巡る論争もあり、ちょうどこの2本の論文が論争の核心にあたります。
09.「サンゴルスキーの『ルバイヤート』」
「ルバイヤート」は元々11世紀にペルシャの詩人ウマル・ハイヤームが上梓した四行詩集です。上梓した当初はあまり知られていませんでしたが、この「ルバイヤート」が知られたきっかけが冒頭にて言及した活版印刷の進化でした。ルバイヤートを巡り様々な駆け引きから、悲劇まであったのだそうです。
10.「椿井文書」
「歴史書」も「科学書」も中には「偽」と頭文字がつくようなこともたまにあります。その中で「偽歴史書」にあたる代表作の一つとして、江戸時代後期にて椿井政隆が描いた「椿井文書(つばいもんじょ)」があります。歴史書のように見えて、実は椿井自身の「悪意」で盛って脚色を加えたものであります。なぜ「悪意」をもっていたのか、さらになぜ「奇書」となり得たのかも含めて取り上げています。
11.「ビリティスの歌」
「ビリティスの詩」は愛の形を描いた散文詩集とされていますが、実際の人物では泣く、架空の人物、架空の物語として描いた詩集です。しかしながら発表当初は実際にいるのではないかと見紛い、評論家の中にはあたかも実際にいるかのように論じ大恥をかいたという人もいました。またこのビリティスの詩をモチーフにしてクロード・ドビュッシーが付随音楽や歌曲などをつくったことも有名です。
「奇書」という本は古今東西ありますが、歴史を「奇書」縛りで辿っていっても、なかなか「奇書」のごとく数「奇」な運命にさらされながら、本の歴史の片隅に潜んでいるような気がしてなりません。しかしながらこの「奇書」は、「奇書」ならではの特色があったことに違いありません。本書はその「特色」を垣間見ることができると言えます。
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