CATEGORY

青春

すかたん

大阪弁ではこのような言葉がある。 「やたけた」…「なげやり、破れかぶれ、自暴自棄」 「ごりがん」…「ごり押しでがんがんいく人」 「すかたん」…「当てが外れること。見当違いなことをした人」 本書はタイトルにある通り、その中でも「すかたん」と言う言葉がよく似合う人として、著者自身のことについて綴っている。本書の最後には映画監督である崔洋一氏が寄稿しているのだが、著者は今年1月に亡くなられた大島渚監督の […]

ありがとう

当ブログを読まれいる皆様は普段、「ありがとう」を口にしたことはあるだろうか。 私は毎日少なくとも一回以上「ありがとう」を言うようにしている。もっと言うと「ありがとう」を口癖にしようとさえ考えている。 その理由とは何か、自分と他人とは価値観そのものが異なっており、「常識」も「当たり前なこと」も異なる。そのため、自分自身がその考えを取っ払い、他人が当たり前だと思うことを自分ではありがたいことだと思うか […]

週末は家族

私の周りには「週末起業」をしている人がいる。平日はサラリーマンとして企業で働きながら、週末、もしくは終業後はサラリーマンとは別に副業として会社を興してビジネスを行う人のことを指す。経済は回復傾向にあるとは言えど、不安のある状態に変わりはないため、収入を複線化することでより安定した生活をおくることができる、という考えからそういう人がでているのだという。その週末起業から本業にシフトしていって活躍してい […]

無冠の父

著者である阿久悠氏は2007年に逝去された。彼の母校である明治大学に著者の記念館を開設するにあたり、遺された品の中で見つかった「未完の作品」がこの「無冠の父」である。ただ、本書の作品は一度も陽の目を見なかった。1993年に執筆したのだが、校正の際、編集者と対立してしまい、以降お蔵入りとなったのだという。にもかかわらず本人よりも遺族の了承で刊行されたのだが、果たして勝手に校正されたのか、そのままの状 […]

ロンリー・コンバット!

「恋に年齢や年の差は関係ない」 と言われているが、ある程度「倫理」と呼ばれるような見えない空気が立ちこめられている。その「倫理」に振れられ社会問題に化することも少なくなく、過去にもそうなったことが起こった。 1993年のドラマ「高校教師」である。 2003年にリメイクされるほどヒットを遂げたが、教師と女子高生との恋愛を題材にしていることからドラマでありながら「社会的タブー」として週刊誌を始め話題と […]

銀婚式物語

「銀婚式」は結婚25周年の時に祝う式である。結婚50周年が「金婚式」と呼ばれているので、それに倣った形で名付けられたのだろう。 著者も本書の執筆中に「本当に」結婚25周年を迎えたのだという。その25周年にあたる日がこの作品の連載一回目に当たってしまい、夫と口論になったこともあとがきにて告白している。 本書が出版する25年前には「結婚物語」を上梓しており、それから25年間の思い出を赤裸々に回想してい […]

パトロネ

本書のタイトルにある「パトロネ」は、フィルムに納められている円筒の缶を指している。最近ではデジタルカメラが増えてきているせいか、フィルムと同じようにあまりみられなくなったとも言える。しかし古くからの写真愛好家にとってはフィルムカメラの感触と映し出される写真の味わいが忘れられず使用している人も少なくないのかもしれない。 私自身もプライベートで写真を撮ることはあるのだが、大概は携帯電話のデジタルカメラ […]

海辺の家族―魚屋三代記

神奈川県大磯町 茅ヶ崎・平塚と同じく東海道線が停まり、「大磯ロングビーチ」が有名である。ワンマン政治で名を馳せた吉田茂の別荘があり、俗に言う「大磯御殿」と呼ばれていたほどである(政界でも隠語として「大磯」があったほど有名である)。吉田茂に限らず伊藤博文や西園寺公望も別荘を持つなど避暑・避寒地として別荘を建てる要人も多かったとされている。 大磯のことはここまでにしておいて、本書はその大磯で営むある鮮 […]

またやぶけの夕焼け

皆さんは子供の頃、どのような遊びをしていたのか。 私の場合は小さい頃は鬼ごっこ(缶蹴りや手繋ぎ、助けも含む)、野球、あと冬ではそりすべりや雪合戦などもやったことは今でもはっきりと覚えている。 本書の話に移るが、1970年代の子供の遊びを映しながら物語を進めている。あるときは冒険、クワガタ取り、火遊び、秘密基地…と様々である。 その中でも冒険やクワガタ取りであれば私でもやったことがある。自然豊かな場 […]

飛行士と東京の雨の森

東京を舞台にしていながら東京独特の喧噪から外れた所にいるような感覚に陥る。それでいてダークかつ寂しさのあふれる様な作品であった。 東京は日本で最も人口が密集した所であるが、心までも近いかと言われるとそうではなく、あくまで「他人」という意識でしかない。それは北海道でもほぼ言えることであるが、その姿を7つの短編小説でありありと映し出している。 話は変わるが、私が初めて東京に来たのは2007年2月、それ […]