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日本史

自殺の歴史社会学―「意志」のゆくえ

3月は自殺対策強化月間である。日本では今もなお毎年3万人もの人が自殺する。その自殺の要因として様々なものがあるのだが、様々な角度から「厭世(世の中を嫌がる、絶望する)」を思ってしまい、自殺するような傾向も少なくない。少し物騒かもしれないのだが、本書はその自殺はどのような歴史を辿ってきたのか、20世紀から現代に至るまで、どのような理由にて自殺したのかを紐解いている。 第1章「自殺を意志する―二十世紀 […]

江戸東京の明治維新

激動と呼ばれた幕末から明治維新をかけて、「江戸」は「東京」へと変化していった。都も「京都」から「東京」に変わるなど、日本の根幹を大きく変化するような出来事があった。その中でも江戸、そして東京へと変化していった中で、幕臣や町、さらには遊郭など様々な変化があったのだが、どのような変化があり、「東京」となし得たのか、本書はその歴史を追っている。 第一章「江戸から東京へ」 江戸というと「実質的な」中心であ […]

陸軍士官学校事件 – 二・二六事件の原点

昭和初期から二・二六事件に至るまでの間の中で陸軍では「皇道派」と「統制派」との対立が起こっており、二・二六事件までの間その対立は激しさを極めていた。その二・二六事件の起こる前の1934年に「陸軍士官学校事件」が起こる兆しを見せた。「兆し」と書いたのは計画こそはあれど、情報漏洩のためメンバーが憲兵に逮捕され、未遂に終わったことにある。しかしながらこれがきっかけとなり、さらに対立が深まり、二・二六事件 […]

江戸の本づくし

江戸時代においても様々な本が生まれたのだが、そのほとんどは本書に出会うまでは知ることがなかった。もっというと本書でも収録しきれなかった本がまだまだあるのかもしれない。毎日200冊ほどの本が世に出てくる出版状況を考えると、程度こそはあれど、今も昔も同じような出版の傾向にあるのかもしれない。 話はさておき、江戸時代はどのような本が出てきたのか、その内容を1782年に刊行された「御存商売物(ごぞんじのし […]

忍者の歴史

海外で認知されるステレオタイプの日本として挙げられるものの中で「忍者(NINJA)」がある。忍者自体は独特な存在としてあるのだが、海外では「スパイ」といった諜報活動、さらには「ヒットマン」といった「殺し屋」といったことを忍者によって行われたと言うものである。日本でも忍者を題材とした創作物があるため、歴史的な存在の中でも有名な部類に入るのかもしれない。その忍者の歴史と役割、そして今ある忍術書はどのよ […]

江戸の長者番付

毎年のように長者番付がいくつかの雑誌で掲載される、そのことを考えると長者番付出てくることは経済の産物とも言える。それは現在にとっても、江戸時代でも変わらない。しかしながら江戸時代にも経済はあるのはわかるのだが、そもそもどのような経済があり、なおかつ長者番付があるのか、そのことを取り上げているのが本書である。 1章「江戸の長者番付ベスト10」 どのような人が稼いだのか、そしてお金持ちなのか、将軍や藩 […]

明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

株式会社オトバンク 上田様より献本御礼。 幕末にペリーが浦賀沖に来航したことにより、長らく鎖国状態であった日本が開国し、近代化への道を進むこととなった。西欧の技術を取り入れながら、日本独自の技術を築き、技術立国として成長することができた。その進化に貢献した人物、本書では映画になぞらえて「ラストサムライ」と呼ばれた。その人物たちと技術革新の歴史を追っている。 第一章「“西郷どん”や“五代様”を育てた […]

足利将軍と室町幕府―時代が求めたリーダー像

室町時代は足利の時代であった一方で、歴史の中では南北朝の影がつきまとっている。しかも征夷大将軍として足利家が天皇家の庇護を行う宿命を背負うこととなった。その背負うこととなった足利家はどのような室町時代の歴史を辿っていったのか、そのことを取り上げている。 第一部「南北朝期の足利将軍家と北朝天皇家」 初代将軍の足利尊氏から三代将軍の足利義満までの間は室町時代の中でも南北朝時代とも呼ばれていた。室町時代 […]

昭和30年代に学ぶコミュニケーション―不易流行の考え方

コミュニケーションの手段は多岐にわたるのだが、論者によっては希薄化しているように見えており、主張している人も少なくない。もっとも著者もその一人であり、電車で移動している最中にスマホを見ながら下を見るような人が多くなっていることを売れいており、本書を上梓した理由としてあるのかも知れない。実際にコミュニケーションのあり方は変化しており、本書の題材となっている昭和30年代と現在とでは大きく異なる。そもそ […]

歴史を学ぶ人々のために――現在をどう生きるか

歴史を学ぶことは必要なことである。それは自国にしても、世界にしても深い意味で「知る」大きな機会である。歴史を学ぶにつれて見るものも変わっていき、なおかつ歴史を学ぶ中で、さらに考察を行っていく中で意見の対立もできてきている。古代のみならず、近現代史においても歴史的な議論は数多くある。なぜ生きる中で「歴史」を学ぶ必要があるのか、数ある論者が示している。 Ⅰ.「“今ここにある危機”に切り込む」 日本の歴 […]