CATEGORY

日本人

大丈夫、死ぬまで生きる 碁打ち 藤沢秀行‐‐無頼の最期

今から5年前、ある碁打ちがこの世を去った。 その男の名は、藤沢秀行。 囲碁界最高峰のタイトル戦・棋聖戦で6連覇を達成し、名誉棋聖の称号を得るなど華々しい活躍を見せたのだが、「無頼」とこれほどまでに体現した人物であり、飲む・打つ・買うと言う言葉をこれほどまでに表現した人物は存在しない。しかしその一方で、囲碁の指導は国内外問わず行っており、世界的に活躍した人の中には薫陶を受けた人も少なくない。 破天荒 […]

見習いドクター、患者に学ぶ―ロンドン医学校の日々

医療問題は高齢化社会や医療サービスの低下、さらには医師不足といった社会問題にまで発展している。この医療問題は「医療とは何か?」という根本的な問題にまで問われており、対応もそれによって分かれている。 で、本書の話になるが、本書は著者自身がイギリスの医学教育に触れ、学んだことを綴ると共に、日本における医療問題の解決へのヒントを提示している。 第一章「命名の日」 イギリスの慣習によって新たに名前がつけら […]

ネルソン・マンデラ 私自身との対話

昨年の12月、南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラ氏が亡くなった。マンデラが大統領になったのは1994年。大統領就任に伴い、南アフリカをはじめとしたアフリカ大陸であった「アパルトヘイト」が廃止されてから3年後のことである。 自身の生涯を「反アパルトヘイト」を掲げ、激動の時代をくぐり抜けていき、「南アフリカの父」「人種差別撤廃の象徴」と歌われたマンデラの生涯を自らの対話でもって綴っている。 Ⅰ.「 […]

いねむり先生

本書はフィクションのようであるが、ほとんど著者と自伝とも言える作品である。本書のタイトル「いねむり先生」は作家としても有名であるが、それ以上に麻雀では「雀聖」という名をほしいままにした阿佐田哲也(色川武大)を表している。なぜ「いねむり」かというと、戦後間もないときから突発性睡眠症候群(ナルコレプシー)にかかっており、所構わず居眠りをする事があったために名付けられた。阿佐田哲也の周囲には麻雀仲間、作 […]

打撃の神様 川上哲治

2013年10月28日、読売ジャイアンツ第三次黄金期(「V9」時代)の監督として、「打撃の神様」として日本プロ野球界に燦然と輝いていた川上哲治が逝去した。93歳と高齢だったのが、功績は今年国民栄誉賞を受賞した長嶋茂雄氏や松井秀喜氏以上のものだったと言える。 「打撃の神様」と呼ばれるようになった川上哲治氏の現役人生とはいったいどのような道をたどっていったのか、そして監督になり、「V9」と呼ばれた時代 […]

妖怪学の祖 井上圓了

「妖怪」の話は日本でも大昔から言い伝えられている、古くは「祟り」として人に疫病をもたらすと言われていた。江戸時代にはいると、「瓦版」と呼ばれる現在のニュースが妖怪にまつわる話を載せるようになったのだが、大概は迷信やデマだったという。 その妖怪の話について「学問」として確立し、妖怪の歴史や民話を集め体系化させた学者がいる。その学者の名は「井上圓了」。本来は哲学者・宗教学者出会ったのだが、なぜ「妖怪学 […]

後藤新平~大震災と帝都復興

今日9月1日は「防災の日」である。 この日になった理由は、今からちょうど90年前の今日、神奈川県相模湾を震源とした地震(大正関東地震)が起こった。後に「関東大震災」となり、約10万人もの命を失った。命だけでは無く、神奈川・東京を中心に多くの家屋を失ってしまった。 その震災から復興するために後藤新平が「帝都復興計画」を計画・指揮し、台湾や満州の開発にも携わった男について再評価をしたのが本書である。 […]

夢を見る力 自分を愛して、自分を信じて

もしも自分が見える世界が無くなったら。 もしも自分で歩くことができなかったら。 自分は「どうしよう」と感じる以前に、本当の意味で目の前が真っ暗になってしまう。現に突然ハンディを負ってしまう、場合によっては一生寝たきりになってしまうこともゼロでは無い。 本書の著者は物心の付いた頃に失明し、目が見えなくなってしまった。しかしハンディをもろともせず、津軽海峡縦断リレーやトライアスロン、さらには南アフリカ […]

天下無敵のメディア人間~喧嘩ジャーナリスト・野依秀市

「言論界の暴れん坊」「反骨のジャーナリスト」 と様々な異名を戦前・戦後にまたいで活躍したあるジャーナリストがいた。 その男の名は「野依秀市」。ジャーナリストとして日本のタブーを映し続けただけではなく、「三田商業界」「実業之世界」「やまと新聞社」など多くのメディア機関を創立した実業家としての顔も持つ。その一方で徹底した「反体制」を敷き、何度も収監され、戦後には、多くの書籍・メディアがGHQの検閲に引 […]

悪党―小沢一郎に仕えて

1969年から約35年もの間にわたり衆議院議員として国政に携わり続けた小沢一郎。頭角を現したのは90年代に「日本改造計画」を発表し、自民党幹事長も歴任した。しかしその裏で「壊し屋」という異名があるが如く、自民党が離れるやいなや「新進党」「自由党」と次々党を立ち上げ、壊していった。その後に民主党に合流した。その民主党では代表をはじめとした要職をれきにんするも、西松建設の献金疑惑により失脚。その後離党 […]