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日本人

京の花街「輪違屋」物語

「一見さんお断わり」、または「観覧謝絶」 京都の座敷や廓にはそういった断りが点在する。簡単に言えばぷらっと独りで立ち寄ることができない。馴染み客(常連客)の紹介がなければ初めて愉しむことのできない格式の高い所である。現在でいえば「会員制」と言う所と似ている。 本書は京都の中で最も古い「廓屋」で知られる「輪違屋(わちがいや)」の跡取り奮闘記についてについて書かれている。 「輪違屋」が始まったのは16 […]

東西豪農の明治維新―神奈川の左七郎と山口の勇蔵

明治維新はまさに「激動」と呼ばれた時代であった。新撰組や坂本龍馬、さらには薩長同盟など様々な人物が活躍し、約240年経った現在でも鮮烈な記憶を残し続けている。 さて本書はそのような所から少し離れた所、ちょうど農民にあたる人物たちがいかに幕末、そして明治維新を体験したのかについて神奈川の山口左七郎、山口の林勇蔵の2人を取り上げている。 前半は左七郎の生涯を取り上げているが、農業にまつわる日記、税や土 […]

梅棹忠夫に挑む

生態学者であり、民俗学者でもあり、そして何より「知の技法」の元祖とも言われた梅棹忠夫氏は今年の7月3日に老衰で逝去された。民俗学や生態学特有のフィールドワークを生かしながら「知的生産の技術」が誕生し、40年を迎えようとしていたときに本書が生まれた。本書は「知の技法の巨人」と言われる梅棹忠夫氏の米寿を記念して、シンポジウムを通して生態学、民俗学、そして知の技法について様々な角度から問いかける(と言う […]

硫黄島 栗林中将の最期

「硫黄島」は本来「いおうとう」と呼ばれるのだが、クリント・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」が大ヒットしていることなどから誤読とは言え「いおうじま」の読み方が浸透している。 それはさておき、硫黄島は日本軍が敗北したとは言え、アメリカ軍も予想外の苦戦を強いられたとして有名である(アメリカ軍の予想では5日で陥落するとあったが、実際は1ヶ月近くかかった)。 その作品も主演の渡辺謙が史料を集め、ク […]

指揮官の決断―満州とアッツの将軍 樋口季一郎

戦前、ユダヤ人はナチスの迫害や虐殺に遭ったのは有名な話であるが、そのユダヤ人を救った日本人は2人いる。一人は元在カウナス日本領事館領事代理で「命のビザ」を約6000人支給した杉原千畝、そしてもう一人は本書で紹介する樋口季一郎である。 樋口季一郎の生涯はユダヤ人とアッツ島、占守島(しゅむしゅとう)が大きく関わる。今まで彼の足跡について、事細かに検証を行った本は存在しないので、画期的な一冊と言える。 […]

限界への挑戦―私の履歴書

本書は日本経済新聞の「私の履歴書」に掲載されていたモノを書籍化したものである。1973年、半導体の実験により、ノーベル物理学賞を受賞した。日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹を含め、物理学賞受賞者は6人いる。著者の人生とともに、研究者として、一人間としてどのように生きるべきかを本書は教えてくれる。ちなみに著者は現在横浜薬科大学の学長としてご活躍されている。 第一章「私の履歴書」 本章の冒頭に […]

情報楽園会社

(株)オトバンク 上田様より献本御礼。 CDやDVDレンタルでもはや代名詞的存在になった「TSUTAYA」。その親会社は「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」と呼ばれ、その頭文字をとり「CCC」と言われている。「CCC」は「TSUTAYA」だけではなく、様々な店で使える「Tポイント」をも生み出しており、多様な事業展開で業界の垣根を越えて注目が集まっている。 本書はその「CCC」の代表取締役が「TS […]

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

「わかっちゃいるけど、やめられない」 これは植木等、ひいてはクレージー・キャッツのヒット曲の一つと言われている「スーダラ節」の一節である。 私は元々お笑いが大好きであったため、植木等については若干わかるが、植木等全盛期にできた「シャボン玉ホリデー」は余りよくわからない。父からそれを見ろと言われているがDVDがないせいか叶えられないでいる(今度実家に帰ったらビデオがあるか訊いてみよう)。 私事はさて […]

岡本太郎

「芸術は爆発だ!」の名言や、1970年に行われた大阪万博の「太陽の塔」でも有名であり、日本を代表する画家としてなくなった今でも、人気は衰えていない。 ちょっとしたこぼれ話であるが、芸人から画家に転身したジミー大西が画家として尊敬している人物とされており、彼のアドバイスが後のジミー氏の作品に大きな影響を与えた。 岡本太郎の生涯はまさに「反逆」、そして「芸術家」ならではの生涯に満ちている印象である。本 […]

華より花

江戸における歓楽地の一つとして賑わっていた所には「吉原」という所があった。そこで遊郭が立ち並んでおり、女性による接待でもって武士や商人が愉しむ場としていた。しかしこの「吉原」は1966年に無くなったのだが、現在では日本最大のソープランド街として有名であることを考えると、「吉原」の名残は今も残っていると言っても良い。 ちなみにこの「吉原」は山手線では「鶯谷駅」、地下鉄では「入船駅」「三の輪駅」が最も […]