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歴史・地理

汚名―B級戦犯刑死した父よ、兄よ

戦後63年を迎える今、歴史認識問題は絶えず論議の的になり、外交の大きな隔たりの要因の一つとして挙げられることが多々ある。本書は特に取り上げなければならず、かつ遺族の苦痛は戦時中以上のものであった、本多勝一ら朝日新聞をはじめ政府では社民党や共産党はそう言った胸中を知っているのだろうか。むしろ中国や韓国に謝れという以前にそう言った人たちの陳謝と保障を訴えることから歴史認識問題について論議するというのが […]

戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争

今、航空自衛隊の幕僚長による論文問題により歴史認識問題が揺れている。私自身も東京裁判等を通じて数々の戦争に関する文献を取り上げてきた。戦争にまつわる歴史認識は韓国や中国の顔色を伺ってばかりいるが、果たしてその歴史が日本人にとって誇りに思えるのか。そして東亜の平和のために勇猛果敢に戦ってきた人たちに失礼ではないだろうかと考えさえもする。しかし今回は戦争の中で兵隊たちにひとつのオアシスを与えた「わらわ […]

東京裁判を正しく読む

今年で東京裁判での判決60周年、同時に7人のA級戦犯の死刑執行60年となる。今年は東京裁判にまつわる本が次々と出ていて、当ブログでもいくつか紹介している(今年発売のものや、過去に発売されたもの問わずに)。 本書は東京裁判全体についてであるが、著者の2人を見ると、双方ともパール判事の解釈について論文を寄稿した方ではないか(むしろ東京裁判専門の方々だから仕方がないか)。そのうちの一人牛村氏はパール判事 […]

日本を教育した人々

表題からして何か釈然としない感じがする。今の日本を育て上げた外国人は誰なのかを言っているのだろうか。あるいはGHQのように日本を占領下に至らしめて再教育した人たちを挙げているのかという疑問がある。と言うことは寺子屋などの日本独自の教育はこれは海外から入ってきたものなのだろうかという考えさえも起きる。 しかし本書を読んでその考えはどこかに飛んで行ってしまった。本書は「日本を教育した人々」となっている […]

故国を忘れず新天地を拓く

今も昔も変わらないことだが、面積の割には人口が多い日本。しかしあふれかえる人口をどうにか分散しようと台湾や韓国を併合し、インフラを整備して日本人を移民したり、満州を建国しそこでも移民を推進したりした。本書はそういう所ではなく、カナダやハワイ、北南米への移民に関して書かれている。 当然そこでは非常に過酷な環境であったが、日本人の根性の強さに感動し、現地の人々に勇気を与えたということには称賛に値する行 […]

日本二千六百年史

本書は昭和14年に発売されたものの復刻版であるが、本書の最初の部分にも書いてあるが、不敬罪違反により削除された部分も復刻している(つまり初版版を復刻したと同じである)。そういう意味では歴史学上最も重要な文献の一つと言えよう。ちなみに当時では20万部以上のベストセラーとなった。 さてこの著者である大川周明であるが、起訴されたA級戦犯の中で唯一の民間人であり、さらに精神疾患(後に「脳梅毒」と判明)によ […]

戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか

本書は一昨年の3月に亡くなられた兼松學氏の戦前・戦後のことをつづっている。ちなみに兼松氏はこの当時は鉄道省に入省し、霞が関で大東亜戦争を体験した。そしてその後の日本の戦後のことについてありのまま話された。 第1章は戦前の暮らしについてだが、父の誇りと共に勉学そして遊びにがむしゃらだった少年時代から外国人と英語で論争、東京帝大時代から鉄道省に入る前までのことである。旧制中学というと現在でいう高校であ […]

統帥権と帝国陸海軍の時代

敗戦後は「統帥権」というのは廃止されたが、大日本帝国憲法下での統帥権は天皇陛下にあった。この統帥権の独立について著者は破滅の道に進んだとしている。実際この統帥権について取り沙汰されたのは日露戦争のことであるが、もっとこれが表面化したのは1930年代のことである。 もともとこの「統帥権」については大日本帝国憲法11条に条文化されていたがそれの解釈や背景にあたり上記のいざこざが見られたという。実際日本 […]

日本史の一級史料

歴史の説やエピソードにおける意見は史料をもとにして行われる。とりわけ本書に書かれているような「一級資料」はそれについての重大な証拠となり得る。しかし本書を読んで混同してはいけないのは「一次資料」と「一級資料」は基本的に違うという所だけは釘を刺しておかなければならない。 それと本書の主張と相容れられないのがもう一つある。本書で書かれているのは安土桃山時代から江戸時代にかけてであり、それらの歴史を証明 […]

司馬遼太郎と東京裁判―司馬歴史に潜む「あるイデオロギー」

司馬史観というと、司馬遼太郎独自の歴史観であったがそれ自体が一部支配されている。戦争は正義であったが敗戦後はその戦争自体を悪と決め付けるような一般国民の風潮と全く同じである。 まず第一章は「東京裁判に呪縛されていた「司馬史観」の軌跡」である。 司馬史観は戦後の自虐史観の呪縛を解いてくれたというが私自身そうとは思わない。城山三郎の「落日燃ゆ」という小説があったのだが広田弘毅に関してこれほど歪曲されて […]