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国内

今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈1〉人間として

あの3.11の震災から2年を迎える。 過去にも現在にもこれほど大きな地震に遭遇したのはなく、今でも昨日の事のように覚えている。あれから2年東北では紆余曲折を経ながら復興に向けて着々と進んでいる。その一方で、当方から遠く離れて住む私たちは「今、私たちにできること」を問われ続けている。といっても過言ではない。 本書は震災の中心にいた東北大学が震災からその記憶を新たなる「知」としての提言を行うための一冊 […]

本屋さんで本当にあった心温まる物語

私は子供の頃から本が好きだった。小さい頃から何度も書店に通うことが多かった。 その時私がよく通っていた書店は旭川市の三条買物公園通り沿いにある「富貴堂書店本店」と、今は複合商業施設となった「マルカツ」の「富貴堂MEGA」だった。小学校の時にはマンガや雑誌を買いに、中学・高校と参考書を買いに通うことが多かったのだが、それとともに色々な本に出逢い、買ったことも今も覚えている。自分自身心温まるようなエピ […]

同性愛と異性愛

「愛」の形は人それぞれであるが、その「愛」の形によって世間的に受け入れられたり、痛烈な拒否反応を示すようなケースもある。とりわけ後者の風潮を強く表しているのが、「レズビアン」や「ゲイ」といった「同性愛」が挙げられる。 日本では同性婚が民法上禁じられているが、同性愛を主張する人もいれば、それを売りにしている業者も存在するのは事実としてある。 本書は「愛」の形によって嫌悪感を持ったり、差別を被ったりす […]

若者の働く意識はなぜ変わったのか―企業戦士からニートへ

働くスタイルもそうであるが、「働く意識」も時代とともに変化をしている。最近では「豊かになりたい」「生活のため」「終身雇用」があたりまえであり、「会社のために働く」というのがメジャーだったのだが、時代や情勢は常に変化するものであり、私たちの世代の働き方や働く事への「考え方」も変化した。 本書は私たちの世代がなぜ「働き方」や「働く意識」に変化が生じたのかについて考察を行っている。 第1章「若者は社会の […]

「生き場」を探す日本人

今も昔も日本を離れ、遠い異国の地で働く・暮らす日本人はいる。老後に裕福な余生を過ごす人や家庭もあれば、新天地や刺激を求め、海外で働く・学ぶ方々もいる。さらに、日本に絶望し、口悪く言うと、自ら捨てて、逆に捨てられ異国にゆだねるようなことさえ起こっている。 最後に書いたような日本人を「「生き場」を探す者」と表す。本書はその人たちの現実を映している。 Ⅰ.「日本に帰らない」 外国に行き、そこで夢破れたが […]

日本の地下水が危ない

株式会社オトバンク 上田様より献本御礼。 日本人は大昔から「井戸水」として「地下水」を生活用水として使われていた。その地下水の需要は高度経済成長とともに増し、地下水の取りすぎにより「地盤沈下」を起こしたところもあった。 その一方で、自然豊かなところではぐくまれる地下水が、土地ごと外国人や外国企業と言った「外国資本」に相次いで買収されているという。いわゆる「水の戦争」の一端を担っている事象であるが、 […]

海ゴミ―拡大する地球環境汚染

「環境問題」と一括りにしても様々な問題があるが、新聞・TVで取り上げられる環境問題はその氷山の一角に過ぎない。 本書で紹介する「海ゴミ」も少数ながらメディアで取り上げられるが、あまり熱心に取り上げられていないものである。この「海ゴミ」の問題は地球環境もさることながら、生態系への悪影響、さらには、国内外の事情など複雑な要素が絡んでおり、解決までの道のりは険しく、かつ遠いが看過できない問題でもある。 […]

就活エリートの迷走

新年を迎えて1ヵ月近く経つのだが、2014年卒の大学生は就職活動も本格化し、面接・筆記試験をするために各企業にゆく、OB面談に行く、ドームなど大きな会場で行われる合同説明会に参加するといったことも行われる事だろう。 しかし、その就職活動、いわゆる「就活」は果たして学生、もしくはこれから入るであろう社会、あるいは企業のために役立っているのかと言う疑問がある。自分自身も6年前の今頃は就職活動を行った身 […]

復興の書店

震災は人も物も夢も希望も生きる力もすべてを飲み込んだ。 本もまた例外ではなく、地震・津波により多くの本屋が失われてしまった。それから店をたたむところもあれば、プレハブやテントで仮店舗として再会するところもあった。震災から時は過ぎ、復興の足跡が響いてくる中、本来ある「書店」も復興し始めた。 本書は被災地の書店の復興までのプロセスを描いている。 一章「本は「生活必需品」だった」 なにもかも飲み込んだ震 […]

デモのメディア論~社会運動社会のゆくえ

日本でデモと言えば、今も昔もあるのだが、2011年の福島第一原発事故を機に「脱原発」デモを中心に、デモ活動が広がっていた印象がある。 同年には、日本以外にも中東諸国で起こった「アラブの春」、アメリカでは「オキュバイ運動」、他にも日本と同じような「脱原発」と世界各地で様々なデモ運動が起こった。しかしそのデモはあたかも「お祭り」の様相を見せている。 「社会運動」としてのデモであるが、その「お祭り」とな […]