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私に萌える女たち

「私萌え」と呼ばれる人たちがいるのだという。ファッションやコスメのみならず、キャリアなどの中身や生きる道など「私らしく」生きるスタイルのことを指している。 本書はそのような女性の生き方はファッションやコスメなどのスタイルの変遷について追っている。 第1章「「何を着るか」と「どう生きるか」」 女性向けのファッション誌は10代~20代を対象にした若年層向けから30代、もしくは専業主婦やキャリアを対象に […]

ジャーナリズムの原理

ここ最近に限ったことではないが、「ジャーナリズム」が変容してきている。ジャーナリズムに関する本を頻繁に取り上げてきた3・4年前は重点的に取り上げてきた。そもそも「ジャーナリズム」という言葉は使われずとも、江戸時代の頃から「瓦版」などがその役目を担っていた。 現在となっては「新聞」や「雑誌」、「テレビ」と呼ばれる、いわゆる「メディア」がそれを担っているのだが、インターネットが広がりを見せることにより […]

若者の労働運動―「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学

昨今「貧困」や「格差」に関して中心に挙げられているのは私達若者世代である。そういった世代の労働運動も昨今耐えないが、その意見は二部している。本書のサブタイトルにあるのだが、かたや「働かせろ」というもの、かたや「働かないぞ」としているものその二つが挙げられる。本書では昨今の若者労働事情、そして労働環境の変化、そして労働に関する考え方の変化について社会学の観点から考察を行っている。 第1章「労働社会の […]

奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」

2011年3月11日 午後2時46分 宮城県沖を震源とした地震が起こった。その地震による津波は我々の想像を遙かに上回り、それにより約3万人以上の犠牲者を出した。 宮城県石巻市もその甚大な被害を受けた地域の一つである。「水の都」と呼ばれた石巻市はこの地震で美しい景観を失ってしまったが、そこで立ち上がる方々もいた。本書は石巻市で生まれ育った奇跡のボランティアを投影している。 第1章「「水の都」が消えた […]

危険学のすすめ

著者は「失敗学」であまりにも有名である。先日も福島第一原発事故に関する第三者機関「事故調査・検証委員会」の委員長に指名されたときには、報道で「失敗学で有名な~」といわれるほどである。 その失敗学から派生してできたのが、「回復力」や本書で紹介する「危険学」である。 この世はまさに「危険」と隣り合わせであるが、本書はその「危険」とはいったい何なのか、そして社会のためにどのように役立つのだろうか、回転ド […]

まなざしの地獄

人は誰しも回数、規模の違いはあれど「まなざし」を受けることはあるだろう。その「まなざし」が自分を高揚させるものになる一方で、それが重荷となる事も有り得る。 本書はその後者に当たる意味でのジレンマをルポルタージュ形式にて綴っている他、「望郷の歌」も収録されている。 <まなざしの地獄> この論文は1973年に「展望」という雑誌に掲載されたもので、現代とあわない内容も一部はあるものの、全体的に現在に通ず […]

ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア

新聞・テレビ・雑誌などの既存メディアに関する「~離れ」が蔓延っている。事実新聞や雑誌の売上部数も右肩下がりであるという。ジャーナリズムというよりも既存メディアによる「ジャーナリズム」が衰退の一途を辿っていると言っても過言ではない。 その要因の一つとしてインターネットの隆盛によるものがある。そのインターネットが新たなジャーナリズムを誕生し、隆盛させるかと思いきやインターネットにはコンテンツなど作る能 […]

職場はなぜ壊れるのか―産業医が見た人間関係の病理

21世紀は「心の世紀」と言われて久しい。とりわけ企業に勤める会社員は「うつ」などの心の病にかかる人が増加傾向にあるのだという。 その理由はいったい何なのだろうか、労働状況が変化したから、不況だから、もしくは人間関係の崩壊から、と理由を挙げると枚挙に暇が無いほどであるが、本書ではそれらの原因と、これからの職場はどうあるべきなのかを提言している。 一の章「成果主義・能力主義の原風景」 今となっては「努 […]

40年目の真実―日石・土田爆弾事件

日本には風化してしまい、真相ですら闇に葬られてしまった事件が数多くある。本書で紹介する「日石・土田爆弾事件」もその一つである。 「日石・土田爆弾事件」は1971年10月、及び12月に発生した事件であり、昨年ちょうど40年を迎えた。もっともこの時期は「学生運動」や「全共闘」などが活発に行われた時期であり、それに関連する事件も多発していた。「日石・土田爆弾事件」もその一つと言えるのかもしれない。 本書 […]

文化・メディアが生み出す排除と解放

「差別」にまつわる報道は今も昔も存在する。差別的な表現や言葉を発しただけでもニュースに取り上げられたり、謝罪、あるいは辞任に追い込まれるような報道まである。たった一言で人は傷つけられることはあるのだが、私はあきらかに「言葉狩り」を既存メディア主導で行っている感が拭えず、メディアそのものの「ジャーナリズム」を疑ってしまう。 メディア観に関してはここまでにしておいて、本書では文化やメディアで取り上げら […]