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書評

〈恥ずかしさ〉のゆくえ

日本には「恥じらい」の文化がある。その一方で開けっぴろげな絵や作品も少なくなく、「恥じらい」を持っていたり、持っていなかったりと曖昧である。その「曖昧さ」が日本語にもあるように、日本文化を象徴であるとともに、曖昧であることへの魅力も存在する。 本書はその中でも「恥じらい」「恥ずかしさ」がいかにしてできたのか、そしてその「恥」はいったいどこに向かっているのかに対して考察を行っている。 第一章「< […]

若者の働く意識はなぜ変わったのか―企業戦士からニートへ

働くスタイルもそうであるが、「働く意識」も時代とともに変化をしている。最近では「豊かになりたい」「生活のため」「終身雇用」があたりまえであり、「会社のために働く」というのがメジャーだったのだが、時代や情勢は常に変化するものであり、私たちの世代の働き方や働く事への「考え方」も変化した。 本書は私たちの世代がなぜ「働き方」や「働く意識」に変化が生じたのかについて考察を行っている。 第1章「若者は社会の […]

週末は家族

私の周りには「週末起業」をしている人がいる。平日はサラリーマンとして企業で働きながら、週末、もしくは終業後はサラリーマンとは別に副業として会社を興してビジネスを行う人のことを指す。経済は回復傾向にあるとは言えど、不安のある状態に変わりはないため、収入を複線化することでより安定した生活をおくることができる、という考えからそういう人がでているのだという。その週末起業から本業にシフトしていって活躍してい […]

灘中 奇跡の国語教室 – 橋本武の超スロー・リーディング

灘中・灘高と言えば、東大・京大への輩出の多い進学校として有名である。灘中・灘高・東大もしくは京大と進学し、さらに政財界に活躍している人物も多い。 その灘中は2009年、「銀の匙」を3年間かけて読むという「超スロー・リーディング」の授業が取り上げられたことから「奇跡の授業」として話題を呼んだ。「橋本ブーム」と呼ばれるほど人気が沸騰するほどであったのだという。 本書はその「銀の匙」を取り上げた「超スロ […]

失敗のすすめ―「教える」だけでは人も企業も育たない

人は誰しも多かれ少なかれ「失敗」をする。しかし企業や人の中にはそれを許さない所もある。それ故に「失敗」を極端におそれ、「指示待ち人間」ばかりできてしまうのだという。 著者が社長をつとめる会社の風潮は「とにかくチャレンジし、失敗しろ」というようなものである。「失敗」は程度にもよるが、自分にとっても会社にとっても損失を被ることになる。しかし損失を被るからでこそ、反省し、次の成功につなげられ、組織や会社 […]

1968―世界が揺れた年

「1968」 その年は世界的にも激動の年であった。これまで当ブログでは日本、アメリカ、そしてヨーロッパ各国について取り上げたが、本書はその総集編というべきところで1968年が始まったときから「プラハの春」、メキシコオリンピックが開催された「夏」から、アメリカ大統領選挙が行われた「秋」と時間を追って取り上げている。 <前編> 第一部「われらが不満の冬」 「革命前夜」という言葉がある。ここから来るであ […]

30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと

メディアやコメンテーター達が中心となって官僚叩きを起こしており、その風潮は止まりそうにない。 しかし当の官僚達はどのような心境で受け止めているのだろうか、どうして働いているのだろうか、本書は「元官僚」として、官僚の仕事とは、政治家と官僚の関係、政権交代、そして自ら官僚を辞めた理由について著者なりの考えと経験を綴っている。 第1章「僕が経済産業省の官僚になるまで」 著者は裕福な家庭で生まれ、育った。 […]

丘の上の邂逅~三浦綾子生誕90周年記念出版

「氷点」「銃口」などの代表作の著者である三浦綾子。その三浦氏は旭川市出身であり、一時期を除き、生涯旭川にすみ続けた。旭川の歴史そのものを知り、作品の中で表現をしている。 本書は三浦氏の生誕90年を記念して、遺稿の中から三浦氏の人生の大部分を過ごした旭川の回顧をエッセイ仕立てで綴ったものを取り上げている。 第一章「旭川だより」 三浦氏は人生の大部分を旭川で過ごした。しかし著者は若いとき、その旭川を好 […]

日本人が知らない世界のすし

「寿司」は日本の食文化の代表格の一つとして挙げられる。 「寿司」は海外でも広く認知されているのだが、海外で生まれた「寿司」も存在する。そのネタには「アポガド」や「フルーツ」「チョコレート」など日本における「寿司」から見たら「邪道」と返されてしまうのだが、外国ではそれらも「寿司」、もとい「Sushi」として定着している。 本書はその外国の「Sushi事情」を追っている。 第一章「もはや「邪道」ではな […]

「生き場」を探す日本人

今も昔も日本を離れ、遠い異国の地で働く・暮らす日本人はいる。老後に裕福な余生を過ごす人や家庭もあれば、新天地や刺激を求め、海外で働く・学ぶ方々もいる。さらに、日本に絶望し、口悪く言うと、自ら捨てて、逆に捨てられ異国にゆだねるようなことさえ起こっている。 最後に書いたような日本人を「「生き場」を探す者」と表す。本書はその人たちの現実を映している。 Ⅰ.「日本に帰らない」 外国に行き、そこで夢破れたが […]