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キリスト教

最後の審判-終末思想で読み解くキリスト教

ミケランジェロ・ブオナローティの代表的な絵画に「最後の審判」がある。現在はバチカン市国にあるバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれている。この「最後の審判」はキリスト教における「終末論」の考えにあり、「怒りの日」と同義に扱われている。 もっとも「最後の審判」の考え方はキリスト教のみならずユダヤ教・イスラム教・ゾロアスター教にも同様の考え方があるのだが、本書はあくまでキリスト教における「最後 […]

教養として学んでおきたい聖書

世界でもっとも読まれている本は「聖書」である。聖書の違いによるのだが、ユダヤ教、およびキリスト教の「教典」としてある聖書は、ビジネスの世界でも活かすヒントにもなり、「聖書」に関するビジネス書もいくつか出ている。 もっとも聖書には旧約・新約とあり、それぞれ書かれている内容も異なってくる。本書は「教養」の観点から「聖書」とはどのような本か、そして世界にどのような影響を及ぼしたのかを紐解いている。 第1 […]

キリスト教とシャーマニズム ――なぜ韓国にはクリスチャンが多いのか

韓国にも色々な宗教があるのだが、中でもキリスト教が多く。カトリック・プロテスタントの違いはあれど全人口の約3割を占めている。韓国、もとい朝鮮半島においてキリスト教の宣教師が初めて朝鮮半島の地を踏んだのはちょうど文禄・慶長の役の時で、キリシタン大名の小西行長とともに、イエズス会の司祭が渡ったことがはじまりである。その時に連行した朝鮮人女性が小西行長の猶子となり、キリスト教の洗礼を受けて「ジュリアおた […]

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命

時計台のある東京大学の駒場Ⅰキャンパスには「矢内原公園」があり、かつては矢内原門があり、その門があったことの石碑が今もなお存在する。その「矢内原」こそ、本書で紹介する矢内原忠雄である。東京帝大(現:東大)の政治学科卒業後、就職を経て、東京帝大に戻り、学名が東大になってからもずっと教授として教鞭を執り続け、戦後には大学の学長にあたる「総長」にまで登り詰めた。 しかしながら研究や主張によっては物議を醸 […]

内村鑑三 悲しみの使徒

明治~昭和初期にかけて、活躍した人物であり、キリスト教研究家としての側面が強い人物として内村鑑三がいる。内村鑑三として代表的な出来事として1891年にて第一高等中学校において教育勅語の「奉拝」の際に敬礼をしなかったことにより、社会問題となった「不敬事件」がある。その不敬事件と、キリスト教との関わりとはどうであったのか、本書は評伝として取り上げている。 第一章「入信」 内村鑑三はちょうど「幕末」の時 […]

天を想う生涯~キリシタン大名 黒田官兵衛と高山右近~

キリシタン大名は数多くいるのだが、その中でも有名な人物もいる。とりわけ本書で取り上げる高山右近は客将として前田家に使えるも、キリシタン大名であることに国外追放され、フィリピンにて逝去した。今から3年前にローマ教皇フランシスコによって列福され、キリシタン大名としては初めて福者となった。 さて本書である、本書は高山右近と黒田官兵衛(黒田孝高の通称)の2人のキリシタン大名がどのような境遇を辿ったのか、そ […]

戦国と宗教

戦争と宗教は思っている以上に密接な関係にある。方や戦争の混沌の中で救いを求めるために宗教にすがりつくような側面もあれば、様々ある宗教との対立によって戦争の引き金になるようなこともある。戦国時代にも同様のことがあり、大名の中にはキリシタン大名が生まれ、中には高山右近(福者 ユスト高山右近)のように後に列福した大名もいる。しかし当時の戦国時代には織田信長・豊臣秀吉といった天下統一を目指した武将から弾圧 […]

ふしぎなキリスト教

宗教人口を表すと、キリスト教が世界で最も多く信仰されている宗教と言える。もちろんキリスト教の中には「カトリック」「プロテスタント」「イギリス清教」など様々な宗派が存在するため、一枚岩ではない。その一枚岩ではないキリスト教は、宗派の一枚岩もあれば、キリスト教の成り立ちや考え方も一枚岩ではない。その「一枚岩ではない」こともまた本書のタイトルにある「ふしぎ」な部分がある。その「ふしぎ」とは一体何か、その […]

イエスはなぜわがままなのか

私が保育園時代の時、毎月のように礼拝が行われており、その中で新約聖書の一部の朗読を聞いたり、毎日の食事などで「アーメン」をしたりすることがあったことを思い出す。その後あまり新約聖書を読む機会は減ってきたのだが、最近になって聖書がビジネスに効果があると言うことから、少しではあるが読むようになった。 本書はそういった聖書を元に、人生にとって役立つことではなく、「本当のところイエスはワガママだった」と言 […]

キリスト教入門

キリスト教は私自身小さい頃に関わりがあった。保育園のころは「プロテスタント」の信仰があったため、キリスト教にちなんだ行事も多々行われた。もちろん、活動の一つ一つにキリスト教の儀礼も行われる。 小学校に入ってから、キリスト教の信仰はなくなった。あれからもう20年以上の月日が流れるのだが、今一度学び直そうと考えている。本書はキリスト教の成立から、仕組みに至るまでについて「入門編」として紹介している。 […]