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小学生

つながりの蔵

人には必ず、何かしらの「つながり」を持っている。親子にしても兄弟姉妹にしても、友人にしても、職場・学校の人間関係にしてもである。 本書はとある小学生が家の外れにある蔵が舞台である。小学生は父を亡くし、母と兄弟とで暮らしていた。その哀しみを隠しながら友情・恋愛・ファッションとを謳歌しながら、友達と一緒にとある蔵に入った。 その蔵にはもちろん昔ながらもものや、親・祖父母、あるいはその上の代にまつわる品 […]

檸檬先生

本書にて題材となっている「共感覚(シナスタジア)」は、かねてから10万人に1人と言われているが、ここ最近の研究では「共感覚」のあり方が本書で取り上げる「色」はもちろんのこと、「擬人化」や「ニオイ」など多岐にわたっており、諸説あるが20数人に1人いるとまで言われている。 それはさておき、その共感覚を持つ小学生が、同じ共感覚を持つ中学生と出会うという物語である。本書の舞台は「共感覚」そのものがかなりレ […]

アヤとあや

小学5年生の女子2人はまさに「相棒」と呼ばれるほど親密であった。しかもその名前は2人とも「あや」である(もちろん漢字に直すと「彩」と「亜耶」とあり、それぞれ異なる)。 その2人の「あや」が物語の「綾」を生み出す。 片方の「亜耶」はモデルをしていた。そのモデルに強いプライドがあり、自らも神秘的な存在で特別視されたいという願望を持っていた。だんだんと年齢を重ねることによってだんだんと神秘的なものがなく […]

煩悩の子

「煩悩」とは、 「衆生(しゅじょう)の心身をわずらわし悩ませる一切の妄念。貪(とん)・瞋(しん)・痴・慢・疑・見を根本とするが、その種類は多く、「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれる。煩悩を断じた境地が悟りである」(「広辞苑 第六版」より) とある。一見難しいように見えるが、慢心や色欲などの感情がその「煩悩」に含まれると言った方が良いと言える。その煩悩はいつ頃からつくられるのだろうか、それは […]

プチ・プロフェスール

「プロフェスール」はフランス語で「先生」「教授」の事を指す。そう考えると、本書のタイトルは直訳すると「小さな教授」と言うのだが、何の先生だろうか、と読み進めていくと科学を研究していることから、俗に「リケジョ」と呼ばれている。「リケジョ」や「プロフェスール」と言っても、大学院生であるため、「教授」でも無ければ「博士」でもない。しかし、そのリケジョに憧れる小学生が「先生」や「教授」と呼んでいることから […]

おはなしして子ちゃん

本書は2012年に文芸雑誌「群像」の7月号に収録されたものと単行本化された一冊である。本書が上梓される前の作品「爪と目」では第140回芥川賞を受賞した。本書は受賞後の1作目として世に織り出された一冊である。 ホップな作品からダークな作品に至るまで幅広く揃えてある10編の短編集だが、印象に残っている物として本書のタイトルにある「おはなしして子ちゃん」、小学生の主人公がふと立ち寄った理科準備室、だが閉 […]

こちらあみ子

本書は第26回太宰治賞を受賞した作品を含めた短編集である。ちなみに賞を受賞した作品名はそれではなく「あたらしい娘」というタイトルだった。 個人的にタイトルと内容を照らし合わせると改題したあとの「こちらあみ子」の方がしっくりと来る。理由は簡単で、主人公が「あみ子」であるだけに、タイトルと内容にギャップもなく読むことができる。 さて、内容はと言うと、あみ子の小学校〜中学校の間の不思議な体験を描いている […]