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差別

アメリカ 1968 – 混乱・変革・分裂

1968年は20世紀の中で「もっとも激動の一年」の一つであった。8月に小熊英二の「1968」を一週間にわたって取り上げたが、そこでは学生紛争や新左翼を中心とした日本における激動の時代を取り上げた。 さて、本書は日本から離れたアメリカの「1968」はどのような年であったのか、というとオリンピックイヤーであったのだが、その一方でアメリカに蔓延っていた「人種差別」が大きく取り上げられた時代であったことを […]

文化・メディアが生み出す排除と解放

「差別」にまつわる報道は今も昔も存在する。差別的な表現や言葉を発しただけでもニュースに取り上げられたり、謝罪、あるいは辞任に追い込まれるような報道まである。たった一言で人は傷つけられることはあるのだが、私はあきらかに「言葉狩り」を既存メディア主導で行っている感が拭えず、メディアそのものの「ジャーナリズム」を疑ってしまう。 メディア観に関してはここまでにしておいて、本書では文化やメディアで取り上げら […]

差別原論―“わたし”のなかの権力とつきあう

「差別」 それは私たち人間、ひいては動物として生きている以上切っても切れないものである。ではなぜ動物たちの中で「差別」というのは起こるのだろうか。 人間社会では「人種」「宗教」「出身」「部族」など様々な「違い」を持っている。その「違い」こそ人間や動物のなかで最も「特長」として表れているのだが、それを「あげつらう」ことによって「差別」という言葉でネガティブなものとして捉えられてしまう。さらに「差別」 […]

太郎が恋をする頃までには…

「蔵前トラックⅡ」になって初めて小説の書評を行う(ただしノンフィクション作品を除く)。今年から月に一回以上は小説を書評するが前身のブログ以来となるのでうまくできるかはわからない。しかし自分が思った事をそのまま書くことがその第一歩と言えよう。 さて、最初に取り上げる作品は「太郎が恋をする頃までには…」である。この作品の著者はフジテレビのプロデューサーである栗原美和子氏だが、小説は大概はフィクションで […]

わしズム 2008年 11/29号

まずこのアイヌ問題が取り上げられた理由が2つある。ひとつは中山元国交相の「単一民族」発言。もう一つは今年の6月6日に「アイヌ先住民族決議」が衆参両院で全会一致で採決された。しかしこれでよかったのだろうかという疑いは残る。「SAPIO」でアイヌが取り上げられたことに感化し、そしてこの「わしズム」を書評するに至った。 今回取り上げるのはアイヌにまつわることだけなので後半に関しては一切取り上げない。 さ […]

差別禁止法の新展開―ダイヴァーシティの実現を目指して

日本には「男女雇用機会均等法」をはじめ、差別を禁止するという法律が多々存在する。さらに差別の撤廃を訴える学会や運動団体というのも世界中に山ほどある。 ではなぜ差別というのが起こるのだろうか、本書の表題のように差別禁止法を展開できれば差別のない社会ができるのか。差別のない社会は果たして「幸せ」なのだろうか。本書を読んでいると中に去来した考えである。 第1部は序論であるが、ここでは今日起こっている様々 […]

ネットいじめ

このところウェブは飛躍的に進化している。最近ではウェブ2.0というものが当たり前のように使われている。しかしその裏には様々な弊害が起こっている。「闇サイト」によるネットいじめもその1つである。そのことによりウェブを「悪」と捉える論者も少なくない。規制をしたらどうかという論者もいるほどだ。 しかし著者の綿密な分析によると学校裏サイトはこうした人間関係の延長線上にあり、使う人間の問題であるとしている。 […]