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思想

三人称の哲学 生の政治と非人称の思想

よく哲学の場では「私」や「あなた」など、一人称や二人称で人間のことについて考察を述べることが多い。しかし本書はそれとは違い「彼」や「彼女」と言った三人称でもって哲学を論じている。 なぜ「私」や「あなた」ではなく「彼」「彼女」のような「三人称」で論じられているのか。 その大きな要因として「二項対立」が取り上げられる。これは「知識だけあるバカになるな!」や「「分かりやすさ」の罠」でも取り上げられている […]

鈴木邦男の読書術―言論派「右」翼の原点

右翼団体「一水会」の顧問であり、ジャーナリストの鈴木邦男氏の一冊である。鈴木氏は右派の中でも「異端」と言える存在である。その大きな所以なのが、愛国心を分析したり、元日本共産党幹部と対談本を出版したり、左派寄りの発言をすることもある。 その一方で「読書家」として知られており、月に30冊以上読む事を長年続けている。読む本のジャンルも幅広いが、その中でどの本と出逢いながら考えを醸成していったのだろうか。 […]

戦後思想は日本を読みそこねてきた―近現代思想史再考

「戦後思想」と言っても一括りには言えないのだが、少なくとも「戦前」の日本、そして大東亜戦争のあり方を否定し、現在の日本はどうあるべきかを説いていた。その代表的人物として大江健三郎、吉本隆明、丸山眞男を挙げている。 もっとも日本における「戦後思想」とはいったい何だったのだろうか、と言うことから考えなくてはならない。戦後日本は戦争に対する嫌悪感、さらには「安保闘争」など政府などの強者に対する抵抗の激し […]

哲学は人生の役に立つのか

私は思うのだが「哲学」という学問は生き方にどのように役立つのだろうか。おそらく人間が生きていくに「思想」という考えの根底が必要なのだが、それを担っているのかもしれない。最近ではニーチェやゲーテなど哲学に関する本も売れてきている。「思想の見直し」を哲学者の言葉や考え方をもとに、私たちは思想そのものを考え始めたのだろう。 その大きな要因としては「格差」が大いにある。貧困により「生きる希望」を見いだせな […]

反西洋思想

「哲学」などの思想については古代ギリシャの頃から様々な形で枝分かれしながらも進化していった。そして思想同士の対立が生まれ、後に宗教対立を招き、戦争になった事も少なくない。 とりわけ毛沢東思想(共産思想)やイスラム原理主義は西洋を敵視していた。特にイスラム原理主義は実行という形に写し「9.11」やイラク戦争後の泥沼化を起こしている。 ではなぜ西洋の思想が「敵視」の的になるのだろうか。本書は西洋とイス […]

自由論の討議空間―フランス・リベラリズムの系譜

社会思想の中で代表的なものに「自由論」というのがある。最も有名なところではルソーが挙げられる。主にフランスで唱えられた思想であるが、今でも思想の代表的な理論として取り上げられる機会は多い。 本書はフランスで栄えた自由論がどのように形成され、どのようなメカニズムになったのか、ルソーのみならず、アダム・スミス、コンドルセ、コンスタンなどの人物を取り上げながら考察を行っている。 第1章「自由とは何であっ […]

吉本隆明 全マンガ論―表現としてのマンガ・アニメ

「戦後思想界の巨人」と言われる吉本隆明氏が初めてマンガやアニメについて語った一冊である。 マンガやアニメというのは単なるサブカルチャーという観点から見る人が多いが、それを思想や哲学の観点から考察を行ってみたらどのようになるのかというのは楽しみである一方、アニメや漫画を突き詰めると必ずと言ってもいいほど哲学に直結するのかもしれない。吉本氏がアニメ・マンガをどのように斬っていくのか楽しみである。 第Ⅰ […]

アメリカの終わり

昨年の10月にリーマン・ブラザーズ倒産によって急速に、かつ世界的に景気が後退した。特にアメリカの経済の減速は凄まじいものがあり、「ドル危機」まで言われるようになった。さらに今年はかつて世界一の自動車メーカーとして名をはせたゼネラル・モーターズ(GM)が「チャプター11(日本で言う「民事再生法」)」を適用し、事実上破産した。これから再建に向けて動き出す。 本書は経済的な終わりというよりも「イラク戦争 […]

情報倫理の思想

「情報倫理」という言葉は聞きなれないが、こういった時代だからでこそ知るべきだと私は考える。 「個人情報保護法」などの情報にまつわる法律は時代とともに続々とできているが、最も情報統制や保護について大きな役割を担うのが、個人の「モラル」、「倫理」というものである。 しかし「情報倫理」と言ってもどのような考えに至るのか、そのことについて取り上げている野が本書である。 第一章「普遍倫理への模索――解説にか […]

書評の思想

私は「蔵前トラック」「蔵前トラックⅡ」の2つのブログにおいて、約700冊近く書評を行ってきた。 いろいろ思うことで、 「書評はどうして生まれたのか」 「書評は何のためにあるのか」 「もしも書評がなかったとしたらどうなるのか」 という問いは、書評を書いている途中に時々考えてしまうことである。 書評の起源は新聞や評論と同じく18世紀イギリスのコーヒーハウスと考えられる。コーヒーハウスに通う人々が様々な […]