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表現

人生に座右の銘はいらない

私自身、座右の銘を持っている。ルネ・デカルトが「方法序説」の中で語った「cogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)」である。この言葉が後に「懐疑哲学」の礎となったのだが、私自身は物事を疑ってかかると言う意味合いで、座右の銘としている。実際にこうやって本を読むことが多く、それでいながら、対照的な思想の本にも手を出すことがあるので、疑ってかかってこないと、考え方そのものがあやふやになってし […]

ミッキーはなぜ口笛を吹くのか~アニメーションの表現史

今、巷で放送しているアニメの本来の言葉は「アニメーション(Animation)」と呼ばれており、 「少しずつ動かした人形、または少しずつ変化させて描いた一連の絵などを一こまごとに撮影し、これを連続映写して動きの感覚を与える映画・テレビ技法。漫画・劇画映画・テレビ番組の制作に使用。また、その映画・テレビ番組。動画。アニメ」(「広辞苑 第六版」より) という意味がある。しかし日本のアニメは相も変わらず […]

言語の社会心理学 – 伝えたいことは伝わるのか

「言葉」というのは実に不思議なものである。その理由として挙げられるのは、言葉は文字通り伝えられるものもあれば、人によっては曲解して伝わるものもあれば、全く伝わらないものもある。 そう考えると、言葉は本当に「伝わるもの」なのかわからなくなってしまう。ましてや日本には「以心伝心」や「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉があり、言葉を使わなくても「伝わる」ということもある。 本書は「言葉」についてどのような […]

音楽とは何か-ミューズの扉を開く七つの鍵-

「音楽とは「音」を「楽」しむためにある」 これは私が高校時代、吹奏楽部の先生に教わった言葉である。音楽の世界を去ってからもその言葉は今も信じている。 私は中学・高校と吹奏楽を、大学ではオーケストラの部活やサークルに入り、音楽漬けの毎日だった。もっと言うと小学5年生からの器楽隊も含めると、実に12年もの間、傍らにはいつも「音楽」が会ったように思える。 その「音楽」とはいったい何なのか。今ではクラシッ […]

編集者の危機管理術~名誉・プライバシー・著作権・表現

月に1回以上セミナーなどのイベントに出没する私は編集者にお会いすることがある。編集者の方々の話を聞くと、編集者同士、もしくは作家とのやりとりに関するエピソードなど、ブログでは書けないような四方山話もある。その話を聞くだけでも面白い。 私事はさておき、編集者の仕事は作家が書かれた話を編纂する、もしくは出版社の企画会議に出すなど様々であるが、その編集者も著作権やプライバシーなどの「危機管理」の仕事もあ […]

魅せるひとの極意

演出、美術、通訳、音楽、衣服、写真…と様々な世界で「魅せる」方々が何を愛読しているのか、と言うのを紹介した一冊である。 様々な世界で「表現」をし、人々を魅了させる人たち。その表現を醸成させるために何を読み、糧にしてきたのかがよくわかる。 紹介されている本も結構面白く、「名作」と呼ばれる本はほとんど無い。むしろ「スミ箱」と言えるような本が多い。まるで焼き魚の美味しい所の如く、その「スミ」である所の本 […]

アサーティブ―「自己主張」の技術

よく自己啓発書やビジネス書において「アサーティブ」という言葉を目にしたり、耳にしたりする。ではこの「アサーティブ」とは一体何なのだろうか。簡単に言うと「自己主張」をするという意味である。アメリカでは1960年代から「アサーティブネストレーニング」が始まり、日本でも最近言われ始めた言葉である。 元々日本には「謙虚」や「謙遜」、「侘び・寂び」といった文化が栄えており、自分を表だって主張をするという性格 […]

吉本隆明 全マンガ論―表現としてのマンガ・アニメ

「戦後思想界の巨人」と言われる吉本隆明氏が初めてマンガやアニメについて語った一冊である。 マンガやアニメというのは単なるサブカルチャーという観点から見る人が多いが、それを思想や哲学の観点から考察を行ってみたらどのようになるのかというのは楽しみである一方、アニメや漫画を突き詰めると必ずと言ってもいいほど哲学に直結するのかもしれない。吉本氏がアニメ・マンガをどのように斬っていくのか楽しみである。 第Ⅰ […]

電車の中で化粧する女たち

なぜ女性は化粧をするのか、それは自己表現であり趣味の範疇にあると著者は主張している。それを考えると現在の「オタク」の概念をとらえながら見てみると通底している部分は捨てきれない。自己表現を極限にまで求めている、だからでこそ電車の中でも化粧をすることに余念がないという。 著者はそういった電車の中で化粧する女性のことを「コスメフリーク」と言っている。そうなると本書は単純に電車の中で化粧する女たちがいいの […]